2024年4月5日のブックマーク (1件)

  • 「兵隊を笑かすために」靖国神社には戦死した吉本漫才師が祀られている 慰問団「わらわし隊」に起きた悲劇

    満州駐屯軍のもとに芸人を送り込んだ 明治創業の吉興業の歴史をたどれば当然、戦争の記憶や傷跡は多く見つかる。はっきりと戦争に結びついているのが、戦争慰問だ。 1931年(昭和6年)、満州事変が始まったあと、満州駐屯軍の慰問に芸人を送り出したのが最初になる。 小規模な編制ながら慰問団にはコンビ「エンタツ・アチャコ」も含まれていた。朝日新聞と提携したものだったので記事になることも多く、エンタツ・アチャコの名が、全国に知れ渡るきっかけにもなった。エンタツ・アチャコは、この二年後の満州慰問にも参加している。 1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると、翌年、やはり朝日新聞が慰問団の派遣を企画した。このときから、吉の慰問団は「わらわし隊」を名乗るようになる。航空隊が「荒鷲」と呼ばれていたのをもじって「笑鷲隊」としたのだ。 その後も、わらわし隊は何度か編制されて、戦地へ派遣された。規模も最初より大

    「兵隊を笑かすために」靖国神社には戦死した吉本漫才師が祀られている 慰問団「わらわし隊」に起きた悲劇