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「兵隊を笑かすために」靖国神社には戦死した吉本漫才師が祀られている 慰問団「わらわし隊」に起きた悲劇
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「兵隊を笑かすために」靖国神社には戦死した吉本漫才師が祀られている 慰問団「わらわし隊」に起きた悲劇
満州駐屯軍のもとに芸人を送り込んだ 明治創業の吉本興業の歴史をたどれば当然、戦争の記憶や傷跡は多く... 満州駐屯軍のもとに芸人を送り込んだ 明治創業の吉本興業の歴史をたどれば当然、戦争の記憶や傷跡は多く見つかる。はっきりと戦争に結びついているのが、戦争慰問だ。 1931年(昭和6年)、満州事変が始まったあと、満州駐屯軍の慰問に芸人を送り出したのが最初になる。 小規模な編制ながら慰問団にはコンビ「エンタツ・アチャコ」も含まれていた。朝日新聞と提携したものだったので記事になることも多く、エンタツ・アチャコの名が、全国に知れ渡るきっかけにもなった。エンタツ・アチャコは、この二年後の満州慰問にも参加している。 1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると、翌年、やはり朝日新聞が慰問団の派遣を企画した。このときから、吉本の慰問団は「わらわし隊」を名乗るようになる。航空隊が「荒鷲」と呼ばれていたのをもじって「笑鷲隊」としたのだ。 その後も、わらわし隊は何度か編制されて、戦地へ派遣された。規模も最初より大