気取らない菓子として登場した大福 江戸時代は歴史上稀にみる安定した社会を実現した。そのなかでも元禄時代は、経済的な発展を背景として、華やかな元禄文化が花開いている。 さまざまに発展してきた菓子ではあるが、1600年代に入ってもまんじゅうや羊かんあるいは南蛮菓子などで、茶の湯の菓子といっても、ふの焼や昆布をはじめとする素朴なものであった。 しかし、元禄文化の王朝趣味の影響を受け、菓子に名前(菓銘)をつけ、デザインを工夫して、味覚・触覚・嗅覚のほかにデザインを目で見て楽しみ(視覚)、雅な菓銘を聞いて耳で菓子を楽しむ (聴覚)という、五感で菓子を楽 しむことが可能になった。 菓銘と意匠の工夫の例をあげれば、冬の朝、氷に閉じこめられた落葉を道明寺生地に小さく刻んだ柿の実を入れて表わした 「薄氷(うすらい)」という菓子や、古今和歌集にちなんだ菓子が工夫されるようになっている。 その結果、1693(元
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