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差別と善に関するmorutanのブックマーク (4)

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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    morutan
    morutan 2008/06/26
    芸としての「お笑い」は差別的なものの境界として機能することが多々ある(ex.ハナモゲラ、ダウンタウン的笑い)。それに対する受け止め方の変化みたいなのが気になる。少し神経質な気もする (cf.正しさの過剰)
  • 夕方のtwitterでの発言の補足ログ - finalventの日記

    意識の問題と存在の問題の違いのわからない人は多い。つまり、その人がどのような思想を持っているかということと、その人が社会構造のどこに嵌め込まれて存在しているか、ということの違いについてだ。 いくら意識を改革しようが知識を得ようが、存在に変化がなければ社会構造は変わらない。そして、社会構造が各種の権力を生み出していくのであり、人の存在、つまり社会的存在は常にその権力の機構の一部になっている。意識的に、思想的に否定しようがしまいが。そして意識も思想もそれらの権力の仕組みとは原理的に断絶している。 あるいはこう考えてもいいかもしれない。主体と想定している個人の意識と、その社会構造の機能としての意識の差異がどこにあるのか。個人がどのような思想を選択しようが個人の趣味に近い。だが、社会機能として存在しているとき、社会システムのなかで各種の権力を構成していく。その社会にもし差別や不当な権力が存在すれば

    夕方のtwitterでの発言の補足ログ - finalventの日記
    morutan
    morutan 2007/10/30
    いくら個人が「差別反対」って言っても立ち位置や文化の違いによってほかの国からは「差別」とされるものが差別と認識されてなかったり。ここで重要なのは同胞愛だけどその範囲が構造的に抑制される、と(国側に立つ
  • むーたん:Twitter:国家のオペレーションのひとつとしての差別と個人(社会)の関係

    morutan
    morutan 2007/10/30
    国家のオペレーションに「差別」や「疎外」が内包されているとき個々人や社会はどのように動けるか(どの辺りまでの決断にとどめるべきか) フレームの外側に立てるのか? http://tinyurl.com/2ck86p
  • http://name-is-x.raindrop.jp/2007/07/post_97.html

    morutan
    morutan 2007/07/15
    いわゆる「可哀相と思いたいんでしょ?」問題。コメント欄にもあるように自分がその状態になればいいというわけでもなく.....難しい
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