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愛に関するmorutanのブックマーク (5)

  • 騎士と愛(reprise)

    別件で 「きみねぇ。。どんなに素晴らしいことを語ってるつもりでも、わたしは哲学クラスタじゃないんだから,そんなにいっぺんにまくし立てられてもわからんよ(#^ω^)・・・ナニソレ?驕り? 『オレのところまであがってこい』的な?」 と某女史に一瞬キレられかけて、「あ、やべえ。。そいうつもりじゃなくて、単にtuneがあってなかっただけなので合わせます、はい」と言葉のtuningをして再度挑戦 続きを読む

    騎士と愛(reprise)
    morutan
    morutan 2013/07/25
  • 「サラ」

    銃夢、5巻

    「サラ」
    morutan
    morutan 2013/07/19
    サラはオレの中の聖母としてインストされてる(たまに大人の女性の口調になる時はそれ)ので連れて行こう
  • 父性と母性 | 蜜蜂を弄ぶ

    父性と母性はそれぞれ、「父親というもの」「母親というもの」とは異なっているのだが、混同されやすい。 それは原理である。 手っ取り早くいえば、父性は母親にも存在するし、母性は父親にも存在する。(「父親も母親もおのおのが、自分の中に父性や母性をいかにバランスよく存在させ、臨機応変に行使するかが現代的の家庭の課題だ」というのは河合隼雄がたびたび主張していたことだった。) 父性の特徴で真っ先に挙げられるのは「切る」ことであり、それに対応する母性の特徴は「包み込む」ことである。そして、「日には当の父性が存在しない(存在しにくい)」というのも河合隼雄がよく言っていたことだ。 「昔は良かった」という話の流れでよく引き合いに出される「強い父親」も、母性原理に基づいた共同体の土台の上にかろうじて成立させてもらっていたようなものだ、というのがその主旨であった。 それに対し、欧米のほとんどの国々で土台となっ

    父性と母性 | 蜜蜂を弄ぶ
    morutan
    morutan 2011/09/18
  • どこまでを自己と認識する社会なのか。 - 旧 はてブついでに覚書。

    自分の物理的な(自分以外のものとの)境界というのはこの身ひとつなわけだけど、 社会的に、概念的に、どこまでを「自己」とするかは、 人は適宜決めている。 学問的にどういう言い方をするのか知らないけど、 精神は自由であるので、「自己」というその定義を、 自分の物理的な境界を越えて、他者や家族や組織やコミュニティに 結構フレキシブルに拡張している。 自己の拡張、というと説明しづらいので、もうちょい大きい、 家族という概念の拡張について例をいうと、 いわゆる血の繋がっていたり戸籍が繋がっている家族以外に ある部族が丸ごと大家族という認識だったり、 田舎のある地域が家族同然だったり、 社員はみんな家族だという認識の社長がいたり。 人がほかの人を単なる他人ではなく「家族」という認識をした場合に 何が起こるかというと、 まず心を許す。 親しき仲にも礼儀ありなんて恐ろしい心の構えがなくなる。 損得の勘定を

    どこまでを自己と認識する社会なのか。 - 旧 はてブついでに覚書。
    morutan
    morutan 2009/10/26
    けっこうドライな印象ないぬこがこういう愛着を持つというのは意外、というかゲマインの解体→自らの選択・再契約的なものが無意識にと言う感じなのかな。めたぼんの変化とも同期 http://bit.ly/2cmU3o
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    morutan
    morutan 2007/09/06
    つまり、「愛の理想像は性別によるのではなくて至高の愛にはいくつかの類型がありマロンもその一つだが、女の場合は諸々の事情によってそこに至るのを阻害されている」、と? cf.中島義道 http://tinyurl.com/yvtnmx
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