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追悼に関するmorutanのブックマーク (12)

  • 伊藤計劃先輩のこと - 篠房六郎日記

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  • ZAKZAK

    手を使わず吸うため歯を抜く…市川崑、追悼タバコ伝説 撮影の合間、タバコに火をつける姿も絵になっていた市川監督=2001年2月27日、松竹京都映画撮影所(クリックで拡大) 天国で紫煙をくゆらせているのだろうか。13日午前1時55分、肺炎のため東京都港区内の病院で92歳で亡くなった日映画の巨匠、市川崑(いちかわ・こん)さんは愛煙家として知られていた。抜けた歯の隙間にタバコを差し込んでいたことから「タバコのために歯を抜いた」という伝説が生まれたほど。晩年は一転、新作に備えて禁煙パイプをくわえ、最期まで映画製作への情熱を熱く抱いていた。 「チェリー」を愛し、1日に100以上を吸っていた愛煙家だった市川監督。「くわえタバコ」がトレードマークで、監督の肖像写真といえば、絵になるタバコ姿が定番だった。 1996年公開の「八つ墓村」の撮影現場を訪れた映画評論家のおかむら良氏は、「いつもタバコを吸ってい

    morutan
    morutan 2008/02/15
    @三谷幸喜のありふれた生活 http://books.yahoo.co.jp/book_detail/r0324405/
  • ゴッチについて書き留めておくべき二つのこと。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。

    逝去から3日経った今でも気持ちの整理がつかずにいる。 その昔、75年の猪木対ロビンソンの立会人として初めて「カール・ゴッチ」という名を認識して以来30年以上ゴッチ関連の記事を読みあさってきた一フアンとして、書き留めておかねばならない二つのことを記しておく。 (1)昭和40年代前半(1960年代後半)すでにゴッチ人気は凄まじいものがあったということ。 よく「猪木がゴッチを神格化しなければゴッチはただの隠遁者として世を終わっただろう」というような意見が見られるが、これは必ずしも正しくない。 昭和40年代前半の月刊ゴングのバックナンバーあたりを見れば分かるが、新日プロレス旗揚げ以前にして既にカール・ゴッチは日のフアンに熱狂的に支持されていたのである。 昭和43年インターナショナル王者として不動の地位を確立していた馬場に、ゴング編集部(竹内宏介氏?)がいくつかの提言をしており、その中で「基礎体

    ゴッチについて書き留めておくべき二つのこと。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。
  • 小田実のこと - D's BLOG

    小田実が死んでしまった。大柄の農夫体型、でかい顔に短い首、細目に太眉、無愛想な早口、大声。決して麗しい容姿ではなかったが、昔(もう少しやせていた頃に)知人に「似てる」と言われて悪い気がしなかったのは、専門家を相手に、ほとんど徒手空拳で素人っぽい議論をしながらも、妙に説得力のある、あの人間味あふれる言葉遣いに魅せられていたからであった。 何冊か読んだはずの著作はほとんど手元に残ってないものの、「難死」という言葉がなんとなく忘れられないでいる(先日、新聞で見かけた「鳥瞰」に対する「虫瞰」という発想もちょっといい)。うろ覚えになるが、確か、大空襲の大阪で、自分の死の意味など何も考える暇もなく、無意味に死んでいった人々の累々たる屍の中で、そうした無意味な死、すなわち「難死」について考えたことが自分の出発点であるというようなことを小田はどこかで書いていたような記憶が。 戦禍の〈大阪〉とか〈広島〉にお

    小田実のこと - D's BLOG
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    morutan 2007/08/02
    名もなき人々の生と死について
  • ZAKZAK

  • http://www.shinchosha.co.jp/topics/nekokami/2007/06/post_33.html

    morutan
    morutan 2007/06/16
    ネコと時間 (時間と和解)
  • http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070608-210089.html

  • 父の思い出

    Hache氏のブログでかんべえさんに御不幸があった事を知った。私は御二方いずれにも直接の面識があるわけではないのですが、オンラインでは随分お世話になっているという感覚があります。タイミングも遅くなり、私がここでというのもいささか的外れかもしれませんが、心から弔意を示させていただきます。 いずれ誰にも回ってくる事ではあるが、やはり肉親は健在であるに越したことはない。私も随分前に亡くなった父親の事を思い出した。ブログなのでたまには個人的な日記もよいであろう。 父が亡くなったのは1985年だった。私も成人前であるし、若い頃にありがちな事として自分の志がうまく現実に反映されるわけでもなく、どうにもままならない日々であった。家庭の状況も病弱な父親を抱えて大変な日々だった。たまたまというか、かんべえ氏の著作にそのものずばり「1985年」がある。良書であるが、私はそのような個人的な事情から複雑な思いで読

    父の思い出
  • 極東ブログ: 死者を悼むということ

    私の父が死んだのは私が三十一歳の時。父は六十二歳だった。早死の部類だなとも思ったが、息子が三十歳を過ぎたのだから死だっていいだろう、自由にさせてやろう、許してやろう、と今では思う。もっと若い日に子どもを残して無情にこの世を去る父親だっているのだ。 死なれてから二十年近く経つ。男なんてものは死んで悲しい生き物でもないと言いたいところだが、残されたものに悲しい思いはある。が、自分の番もそう遠くないなと思うと悲しみは少し薄れる。私の父の人生スパンが私のそれであるなら私は後干支を一巡して人生が終わる。そのくらいでいいかとも思ったり、ちょっと物足りないというか寂しい感じもするし、もうちょっと生きてみたい気もする。幸運にももうちょっと生きられるかもしれない。そもそも五十歳まで生きていると青年期には思ってもみなかったしな。 そんなことを思ったのは、今週6・13ニューズウィーク日語版の投稿コラム「遺族を

  • https://www.gmo.media/teacup?M=ORM&CID=647&BD=2&CH=5

    morutan
    morutan 2007/04/25
    涙は拭くな、凍るまで
  • 安藤百福、逝く: 極東ブログ

    安藤百福が五日亡くなった。九六歳。天命とも言うべきかもしれないが、死に際して心筋梗塞で苦しくなかっただろうか。チキンラーメンの開発者であり、カップヌードル開発の事実上の総指揮者でもある。近年の連ドラ「てるてる家族」やプロジェクトX「魔法のラーメン 82億の奇跡」などで生前から伝説化が進んでいた。確かに日的な苦労とジャパニーズ・ドリームを実現したような人生である。が、日経新聞に掲載されていた「私の履歴書」の書籍化「魔法のラーメン発明物語」(参照)を読み返すと、そうしたわかりやすいグレートマン伝説とは少し違う、昭和史を体現した興味深い人物が浮かび上がってくる。 安藤が伝説のチキンラーメンの開発に取り組んだのは私が生まれた年、昭和三二年のようだ。その時、彼は四七歳。翌年開発に成功する。ざっくり見て、安藤百福の今日の栄光のスタートは五〇歳であった。顧みて四九歳の自分には人生をやり直してチャレン

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    morutan 2007/01/07
    「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」
  • 即席麺の開発者、安藤百福・日清会長が逝去 | スラド

    朝日新聞の記事によれば、日清品の創業者で「チキンラーメン」や「カップヌードル」の開発者として知られる安藤百福会長が1月5日、急性心筋梗塞で死去しました。享年96歳。 安藤氏は1957年、48歳の時に即席麺の試作に取り組み、翌年にはインスタント品の草分けとなる「チキンラーメン」を発売。その後もカップ入り即席麺の「カップヌードル」などを開発しました。デスマ中の夜としてお世話になった/.J諸氏も多いのではないでしょうか。安藤氏のご冥福をお祈り申し上げます。

    morutan
    morutan 2007/01/07
    『インスタントラーメンを食べ過ぎると96才までしか生きられないし、死の前日までしか働き続けられないのです。』
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