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2008年6月1日のブックマーク (4件)

  • あなたのブログのイヤなヤツ: 極東ブログ

    最初に結論を言うと、「あなたのブログのイヤなヤツ」とは私のことだ。ああ、なんて自分はクソッタレなんだろと思う。 それはそれとして、「極東ブログ: [書評]あなたの職場のイヤな奴(ロバート・I・サットン)」(参照)で議論される、職場のクソッタレ(asshole)とネットのクソッタレのことを考えた。サットンによると、職場にはクソッタレ撲滅ルール(No asshole Rule)が必要だということだが、これは職場だからだ。職場というのはゲゼルシャフトなので目的から合理化できる。ひどい言い方をすればクソッタレが目的にかなうならクソッタレ大歓迎だし、社会を見ていると、どうもそういう実態もありなのかもしれないなとも思う。 ネットはどうなのだろう。昨日のニュースだが朝日新聞記事”『死ね』と書き込みされた」高1女子が自殺”(参照)より。 北九州市内に住む高校1年の女子生徒(16)が、「(インターネットの)

    morutan
    morutan 2008/06/01
    blog荒らしと経営(ドラッカー)か…。いつもながらなにげな距離感
  • ブランド信仰の日本でブランド離れ?――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

    ブランド信仰の日でブランド離れ?――フィナンシャル・タイムズ 2008年5月30日(金)20:30 (フィナンシャル・タイムズ 2008年5月28日初出 翻訳gooニュース) ジョナサン・ソーブル 日市場に賭ける――。ギョーム・ブロシャールのこの思惑はピタリと当たった。ダイヤモンドをちりばめたパンダのジュエリーは、1日で売り切れた。 キラキラまぶしいマスコットは、高さ6センチ。15カラット分のダイヤと、1万9000ユーロ(約310万円)の値札つきで、日向けに5個だけが限定生産されたものだ。メーカーは、ブロシャール氏と香港在住のデザイナー、デニス・チャンが5年前に共同で立ち上げた仏中ジュエリーブランド「キーリン(Qeelin)」。 キーリンのジュエリーは、クマや鈴や蓮根をモチーフにしたペンダントが中心。日では六木などに店舗があり、ヒットしている。ブロシャール氏によると、

    morutan
    morutan 2008/06/01
    メジャーからメジャーマイナーみたいなの。モノによる個性化志向はまだ生きていたか
  • 戦場の生存術 - 情報考学 Passion For The Future

    ・戦場の生存術 1942年生まれ、1961年慶応大学在学中に傭兵部隊の一員としてコンゴ動乱に参加、その後、フランス外人部隊教官を経て、アメリカ陸軍特殊部隊に加わる、というプロフィールの日人傭兵が書いた、正真正銘のサバイバル術。そんじょそこらの趣味的サバイバルとはレベルが違う。 前半では実戦の常識が語られる。たとえば敵の数の把握の仕方として足跡からの推測法などが紹介されている。山で遭難したとか、外国で誘拐されたとき、など非常事態に使える(かもしれない)ノウハウとして参考になる(ような気がする)。 「アメリカ陸軍の方式は、かなり人数がいても正確に出る。すなわち75センチから90センチ程度の間隔の線を、足跡がたくさんあるあたりに引く。それから線にひっかかっているのを含め、すべての足跡を算え、その総数を単純に2で割る。これでやると何と18人くらいまでほとんど確実に割り出すことができるのだ。」

    morutan
    morutan 2008/06/01
    カレー粉常備の人の本
  • 日記的 - finalventの日記

    人が自殺して、遺書なりを残すことがある。それが人の最後の言葉だというのは間違いないが最後の思いであったかどうかはよくわからないと思う。そしてそのわからなさというのはぼんやりと関心を持つ人に、さまざまな憶測というかゴシップが流れ混む。総じて見れば、死者を冒涜したくてたまらないのであり、それは自死へのある自然な嫌悪の表現なのかもしれない。つまり、そうして貶めることで自分の、自殺者への関心への薄暗がりを隠蔽したいのだろう。 自死者が最後に何を思ったのか。そこは究極のところわからない。というか質的にわからないものがあり、メタ的に見るとたいていは一種の精神疾患であり自己分裂なのではないかと思う。それはすでに書いた。あのおりのぶくまなりのコメントはざっと見たが、あまりそう思う人はいないようであった。私の疑問のコアは伝わってないのだろうとも思うし、伝わる必要もないのだが、自死者に対するある疑問がさら

    日記的 - finalventの日記
    morutan
    morutan 2008/06/01
    たしかにベタな死に落とし込める感覚は分からないし、そういったものを越えた後に自分なりに超越的な何かを手に入れた気はした