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2014年2月9日のブックマーク (4件)

  • ヴァイマル文化 - Wikipedia

    現代建築の泰斗・ヴァルター・グロピウスが設計し、1925年から1926年にかけて建設されたバウハウスデッサウ校 ヴァイマル文化(ヴァイマルぶんか、Weimar culture. 「ヴァイマル」 は「ワイマール」 と発音されることも多い。)とは、ヴァイマル共和政期(1918年の第一次世界大戦終結におけるドイツの敗北から1933年のヒトラー政権成立まで)に叢生した諸文化の勃興を指す[1]。 この時代の知的成果は、人類史上最高水準の1つとして引用されることが多い。当時のドイツは理系分野はもとより文学、哲学及び芸術の最先端を行く国とされ[2][3]、特に1920年代のベルリンはヴァイマル文化の牙城であった[1]。 なお、ヴァイマル共和政には当てはまらないものの、ドイツ語圏で同様に第一次世界大戦後に共和制に移行したオーストリア第一共和国、就中ウィーンもヴァイマル文化の一部に含める場合がある[4]。

    ヴァイマル文化 - Wikipedia
    morutan
    morutan 2014/02/09
  • 今年の○冊(2013年) - sunaharayのブログ

    2010年から毎年年末にこのネタを書いてきてますが、2013年版今年の○冊を。2010年にこれを始めたのは、当時なぜか現代日政治関係の博士論文が続々と出版されていて、それを紹介しようと思ったからです。最近減ったかな、と思ったのですが、やはり今年については現代政治関係の博論はちょっと少なめだったみたいです。どちらかというと最近は、そういう博論(それ以外の分野でも)を出版してきた人たちが二冊目以降に相対的に一般向けのを書く、というのが多かったような気がします。 まず2013年初頭ころのものとしては、伏見岳人『近代日の予算政治1900−1914―桂太郎の政治指導と政党内閣の確立過程』、鈴木一敏『日米構造協議の政治過程』でしょうか。両方ともダイレクトに専門が近いわけではないので十分に読みきれているわけではないのですが、実はいずれも「制度化」にかかわるテーマとなっています。前者は桂太郎時代の予

    今年の○冊(2013年) - sunaharayのブログ
  • 『『SPA!』(2/11・2/18合併号)での浅田彰さんからの批判について』

    【1】『SPA!』で浅田彰さんが僕に批判的に言及されているというので読んでみました。いくつか説明しておかなければならないことがあると思うので、すこし連投したいと思います。 【2】まずこれです。《京大の人文研にいる〔…〕王寺賢太が、國分を呼んでスピノザ論を聞いたことがあるんです。〔…〕國分は、驚くべきことに、ドゥルーズやネグリのみならず、 古典的なスピノザ研究の蓄積についてもほとんど言及せず、ひたすら「僕のスピノザ」を大声で得々と語るわけ》。 【3】最初にはっきりと述べておくと、僕はいままで一度も、「スピノザ論」を語って欲しいと依頼されて京大の人文研にお伺いしたことはありません。これをまず確認しておきます。 【4】ただ二年ほど前、一度京大にお招きいただいたことがあります。その時の論題は市田良彦さんの『革命論──マルチチュードの政治哲学序説』(平凡社新書)で、合評会をやるからこのを論じて欲し

    『『SPA!』(2/11・2/18合併号)での浅田彰さんからの批判について』
    morutan
    morutan 2014/02/09
    元の発言確かめたわけではないのでその辺の是非はいいんだけど、<実質行政と官僚支配のこの国>で住民投票というのが行政hackに有効なのか、には興味ある(あと自治の範囲 http://bit.ly/1g9YaV8
  • シェーネラーとルエーガー~ヒトラーが範とした二人の反ユダヤ主義者

    アドルフ・ヒトラーは「わが闘争」で強く影響を受けた人物として二人の政治家の名を挙げている。ゲオルク・フォン・シェーネラー(1842 – 1921)とカール・ルエーガー(1844 – 1910)はともに十九世紀末のオーストリアの政治家で、反ユダヤ主義の代表的な人物であった。 オーストリア=ハンガリー二重帝国1848年にパリで起こった革命はすぐに欧州中に波及してナポレオン戦争後の「ウィーン体制」を崩壊させる。オーストリアでも宰相メッテルニヒが追放され、自由主義派が政権を握るが先鋭化して混乱、やがて新皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の下で絶対主義体制が再建されるが自由主義派も強い影響力を持ち、両者の駆け引きの中で漸進的な自由主義的施策が打ち出されていく。 立憲主義体制への移行と自由主義化の契機となったのは「普墺戦争」(1866)の敗北である。ドイツの大半を失い、それまで主流派であったドイツ人が少数派に

    シェーネラーとルエーガー~ヒトラーが範とした二人の反ユダヤ主義者
    morutan
    morutan 2014/02/09
    神聖ローマ帝国の終焉とナチまでの背景として。「十九世紀中盤までのオーストリアの経済成長を支えたのは勤勉なユダヤ系の人々であった」が不況の反動で当時の民族主義につながって、と。