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5.30.2014 岸 政彦 第6回 出ていくことと帰ること 私たちにはいつも、どこに行っても居場所がない。だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい。 居場所、というものについては、さんざん語り尽くされ、言い古されているが、それはやはり何度でも立ち戻って考えてしまうようなものである。居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、手に入れられないかのどちらかのときで、だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない。しかるべき居場所にいるときには、居場所という問題は思い浮かべられさえしない。居場所が問題となるときは、必ず、それが「ない」ときに限られる。 マイノリティと呼ばれるひとたち、「当事者」と呼ばれるひとたちはなおさらだが、私たちマジョリティやいわゆる「普通の市民」たちもまた、基本的にはみんな、居場所がないと思いながら暮らしている。仕事や家族や人間関係などで頭
10.24.2014 断片的なものの社会学 第9回 海の向こうから 岸 政彦 第9回 海の向こうから ときどきゼミで、依存症や嗜癖、あるいは、マルチ商法やカルト宗教のことが問題になる。そういうときにいつも学生に聞く。仲のよいともだちが、病的なほどパチンコにはまってしまったらどうしたらいいだろう。親友や恋人が、いかにも怪しげなカルト宗教に入ってしまったら? 社会問題に興味を持ってゼミに入ってくるような学生でも、仲のよい相手に対しては、何も言わない、というものがほとんどだ。本人がよければそれでいいんじゃないですか。私たちの、「相手の心に踏み込まない」というマナーは、とても強力に作動している。 ただ、実際には、同じゼミ生の女子でDV男と別れられないやつをみんなで寄ってたかって別れるよう説得したり、わりとけっこう、おたがいおせっかいを焼いているようだが。 それにしても、この、相手の心や意
「鉱物の女王」metal queen の呪縛 「ルーネンベルク」「石の花」「ファルンの鉱山」 鉱物・宝石をテーマの小説研究序説 ロマン派のメルヘンのテーマとして、、 鉱物の女王という普遍のテーゼがある。 ドイツロマン派の重鎮ティークには「ルーネンベルク」 そしてドイツロマン派のカルト的な?伝道者?のホフマンの「ファルンの鉱山」 ロシアの童話作家のバジョーフの「石の花」 などすべてが「鉱物の女王」テーマのmarchenである。 まず、、ティークの「ルーネンベルク」であるが、、、 主人公の青年クリスチャンはある日、、父母を捨てて森へさまよいこんでいく。 そこでたどり着いた洞窟の割れ目から、ルーネンベルクの世界を垣間見てとりこになってしまう。 ルーネンベルクの世界とは、、金属や鉱物や石の楽園であり、まばゆい万華鏡の無機質のユートピアだ。 しかし、われに返った、クリスチャンは村へと舞い戻り、や
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