『渇き。』の構成が原作に忠実なことに対して、一ヶ月違いで公開された映画『私の男』(熊切和嘉監督)は、まさに対比としてふさわしいと思う。 『私の男』も、じつは物語の構成上、映像化不可能といわれていた作品だった。桜庭一樹による原作は、主人公の現在から始まり、章ごとに数年前の過去へ徐々に遡っていき、章ごとに話者も変わり、最後の章は一番古い、幼いときの時間軸で終わる。そのため、それを映像化し、観客に何が起こっているかを理解させるのは、非常に難しいと思われていた。 だが、この映画化にあたって熊切監督と脚本の宇治田隆史は、時間軸を正常な流れに入れ替えるという大胆なアレンジをした。幼少期から始まり、小説では冒頭に置かれていた現在が、映画では最後に語られる。つまり小説では重要であった「出来事を遡る」という物語り方を、ヒロインの成長に合わせた、通常の時間の流れの映画にしているのだ。そのため、原作が未読の場合