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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/Syouka (2)

  • 関東大震災は新聞業界を大きく変えた。今回も変わるだろう - 月明飛錫

    明治の新聞, 雑記 | 02:50 | 1923年の関東大震災は、新聞界にも激震をもたらし、大阪系の『朝日新聞』と『毎日新聞』が飛躍するきっかけとなった。業界全体でも震災後の発行部数は倍増した。しかし今回の地震は、紙の新聞の凋落を加速させるだろう。 1.関東大震災と新聞業界の激変ラジオもテレビもまだ存在していなかった大正時代、人々が情報を得るのは、口コミを覗くと新聞に限られていた。関東大震災前の東京では、10万部以上を発行する新聞社が10社も存在し、群雄割拠状態となっていた。しかし1923年9月1日の震災は、多くの新聞社に大きなダメージを与えた。この地震はちょうど昼時に起こり、しかも風が強かったため、東京では火災が広がり、多くの新聞社が社屋を焼失した。辛うじて難を逃れたのは『東京日日新聞』(毎日新聞東京社の前身)、『報知新聞』(読売新聞グループのスポーツ紙、当時は一般紙)、『都新聞』(

    morutan
    morutan 2011/03/21
    たたき台として。中央は多分変わらず地方紙イカンだと思う。震災で機能してなかったと思うけど周辺地とかこれからの展開としてのSMとの連携など、インフラの問題もある。 SM周り http://togetter.com/li/114215
  • 明治の新聞①〜投書家の時代 - 月明飛錫

    雑記 | 22:49 | ポイント:明治時代の初期には、新聞記事のかなりの部分が、読者からの投書でなりたち、これらの投書家は新聞社との連帯感をもっていた。しかし、新聞弾圧と、新聞が同人誌的な集まりから利益を追求する企業に変化していったことで、読者は「投書家」から「消費者」へ転換した。 一昨日の記事のコメント欄で、hiroeda氏に明治時代の新聞に関する参考文献を教えていただき、それを読んでいたら、興味深いことが書いてあった。明治時代の初期には、投書家が新聞において重要な役割をはたしていたというのである。そこで今日は、これについて簡単に書きたい。 現代の新聞にも投書欄はもちろんあるが、明治の新聞にとって、投書はそれ以上の意味があった。 1.明治初期 記者と投書家の新聞共同体 幕末から明治にかけて、つぎつぎと創刊された新聞では、はじめのころは読者通信がニュース記事となっていた。取材体制が整って

    morutan
    morutan 2010/06/24
    明治の新聞が現在と違うのは当時は政府機関に就職できなかった組が新聞やってたのでオルタナ政策とかガッツリとなえられたからだけど、「投書が重要な役割」ってきいたことないな。今度調べよう
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