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ブックマーク / sskkyy81.blog4.fc2.com (6)

  • M-1グランプリの黒歴史 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    M-1グランプリ この大会でメジャーを駆け上がっていった芸人は数知れず、今やお笑い賞レースの最高峰と呼べるものまでになった。 島田紳助の提案から過去6回行われてきているこの大会も、インフラ設備が確立していない初年度からの数年は、手探り状態で運営が行われていた。特に初年度の2001年大会は、優勝した中川家以外、全員公開惨殺ショーとなったともいえる。 その処刑人は一人一点を与えられた、札幌・大阪・福岡の吉興業の劇場に集まった各100人の一般客であった。 トップバッターが中川家という事もあり、一般客の点も200点前後(300点満点)の無難な点で推移していた。 しかし、この空気をDonDokoDonが一変させる事となる。 山口のモノマネを駆使したネタで会場では笑いも起きたが、一般審査員の点が出た時、彼らは凍りつく事となった。 (札幌:47 大阪:18 福岡:29) 合計94点 特に低かった大阪

    morutan
    morutan 2007/03/13
    立川談志のコメントは見た。殺し屋だと思った ⇒ ※欄的には救済だったか
  • 古舘伊知郎に学ぶ話術 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    私が古舘伊知郎という人物の魅力を思い知らされたのは、夜ヒットスタジオでTM NETWORKを「歌う日米半導体摩擦」と例えた時だった。 未だに意味はさっぱりわからないが、雰囲気はなんとなく伝わる絶妙な例えだったと今でも思う(笑) そんな古舘さんの著書に書かれてあった実践に使える話術を、一部紹介させてもらいます。 ■音を引き出す為に おしゃれカンケイに江川卓がゲストとして出演した際、当時週刊誌で話題になっていた「江川は女房をよく殴る」というウワサについて真相を聞き出したかった。 古舘「江川さん、奥さんと初めて会った時の印象は?」 江川「昔の事だから忘れましたよ」 古舘「どこに魅力を感じられたんですか?」 江川「魅力なんて別にないですよ 今も」 と、のらりくらりで話の核心に入れない。そこで古舘さんは 古舘「江川さん、僕は女房とケンカして殴っちゃたら、その後のフォローはSEXですよ!」 江川「(

    morutan
    morutan 2007/01/21
    なんかこれを連想した(営業のための心理学みたいなの) http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070107#p1
  • 「お客様は神様です」という呪文 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    に支店を持つ外資系企業では社員に最初に学ばせる言葉が ゲイシャ、ハラキリ、スシ、そして「お客様は神様です」だと言う。 日で客商売する上では、お客様は神様だという風潮がある。 私が都内のある企業街で物販販売の店舗の責任者をやっていた時の話です。 客の半分は名の知れた企業の社員の方で、日に数千人もやってくる多忙な仕事場だった。 その時の経験はお客様は神様など到底思えぬものだった。 <ケース1> ある大手化粧品会社の女性からクレームの電話があった。何のクレームかは言ってくれない。ともかくすぐに会社の○階まで来いという。慌てて徒歩5分ほどのその会社に行ったが、アポの無い私は当然入り口で止められた。受付で事情を説明したが、名前を聞く前に切られてしまっていて、状況を説明するしかなかった。結局受付で30分も待たされた。もちろん私の店は営業中であり、30分も抜けると大きく仕事に支障が出る。 やっとオ

    morutan
    morutan 2006/09/15
    最近同じようなことを感じる。社会経験や想像力が足りない?それとも、やはりゴネ得ということ?
  • 尾崎豊が太陽の破片となった日 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    1988年 6月22日 この日尾崎は「夜のヒットスタジオ」で最初で最後のテレビ出演をした。 尾崎がテレビに出るというだけで事件だったが、この放送はさらに注目を集める理由があった。 1987年 12月22日、覚せい剤取締法違反で逮捕される。 1988年  2月22日、東京拘置所から釈放。 この四ヵ月後 フジテレビ「夜のヒットスタジオ」にテレビ出演。 この「太陽の破片」はドラッグに依存するまで追い詰められた状況、そして三ヶ月の拘置所生活の中でもがき続けながら生み出した曲である。これだけの条件が揃ってれば、当然私はテレビの前で尾崎の登場を待ち続けた。この曲どうこう以前に、尾崎が普通にしゃべっているのを見た事すらなかったからだ。 尾崎はリハーサルよりも質素な格好で番に臨んだ。 そして伏し目がちで言葉少なめにこう言った。 尾崎 「どうも、ご心配をおかけしました。 僕の素直な気持ちを曲にして、これか

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    morutan 2006/09/07
    もはやコントにしか見えない。。(cf.板尾創路)
  • ガチンコファイトクラブを検証 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

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    morutan 2006/08/27
    ・・懐かしい。このごろしてた過酷労働を思い出す。労働先の副社長みたいなのがこれにはまってて困りものだった
  • 野坂昭如 VS浜田雅功 仁義無き戦い - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    先日、松人志のラジオをきいていたのだが、 かなり以前放送した「ガキの使い」のある放送分の舞台裏の話をしており、 それが 久々に声をだして笑ってしまった内容だったので、紹介します。 (記事元 「松人志の放送室」より) その放送とは93年頃に放送しており、ゲストを招きトークを行うのだが、その際ゲストを何回叩いたかで点数を競い合った「叩いてさあ何点?」である。 このコーナの裏テーマは当にゲストには秘密にしていたらしく、いかにして大物ゲストを蹴ったり、を放り投げたりとどれだけより失礼なことを出来るかを競っていた。和田勉、ガッツ石松、志茂田景 加賀まりこなど匆々なメンバーが犠牲となったが、この裏話は大島渚の誕生日パーティーでマイク振り下ろしを喰らわした事でも有名な暴れん坊「野坂昭如」が出演した際の話だった 。 さっそく野坂氏に対し、いつものようにまずビンタをかます浜田 ここで今までのゲストと

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    morutan 2006/08/25
    最大トーナメントの独歩vs.アメリカのケンカ師の回を思い出した
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