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  • 第33回 ハプスブルク家の登場と宗教改革

    ○元は田舎の一領主 話が前後してしまうのが、ヨーロッパ史の常。当に申し訳ないです。さて、ヨーロッパ史を語る上で欠かすことの出来ない存在が、ハプスブルク家です。もう、カール5世・フェリペ2世親子は登場しましたし、第21回で発祥は触れましたが、復習も兼ねて、最初から見ていきますよ。 ハプスブルク家というのは、11世紀頃に登場。元々はスイス・ドイツ・フランスの国境付近を領有する領主でした。それが、たまたま神聖ローマ帝国で皇帝を巡って争いが起きた時(いわゆる、大空位時代)に、「こいつなら害はないだろう」と皇帝の座に推挙されたことから運命は変わります。この時の人物が、ルドルフ1世。1273年のことです。 神聖ローマ帝国では、7人の世襲の選定侯による選挙で皇帝が選ばれ、彼らの操りやすい人物が選ばれた・・・はずだったのですが、このルドルフ1世。なかなかの人物。 戴冠式の時、強国だったボヘミア王オットカ

    morutan
    morutan 2012/04/16
    ブルボンとハプスブルクが仲悪くなったのは神聖ローマ皇帝位をめぐってのことだけど間にブルゴーニュあって、最終的にネーデルラントはハプスブルクに、ブルゴーニュ公国はフランスのものになった(後者は奸計かの
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