○元は田舎の一領主 話が前後してしまうのが、ヨーロッパ史の常。本当に申し訳ないです。さて、ヨーロッパ史を語る上で欠かすことの出来ない存在が、ハプスブルク家です。もう、カール5世・フェリペ2世親子は登場しましたし、第21回で発祥は触れましたが、復習も兼ねて、最初から見ていきますよ。 ハプスブルク家というのは、11世紀頃に登場。元々はスイス・ドイツ・フランスの国境付近を領有する領主でした。それが、たまたま神聖ローマ帝国で皇帝を巡って争いが起きた時(いわゆる、大空位時代)に、「こいつなら害はないだろう」と皇帝の座に推挙されたことから運命は変わります。この時の人物が、ルドルフ1世。1273年のことです。 神聖ローマ帝国では、7人の世襲の選定侯による選挙で皇帝が選ばれ、彼らの操りやすい人物が選ばれた・・・はずだったのですが、このルドルフ1世。なかなかの人物。 戴冠式の時、強国だったボヘミア王オットカ
フランスで、ジャンヌダルクが英雄視されるようになるのは、フランス革命後、特にナポレオン3世の時代で、それまでは、関心が集まらない女性でした。 現在では、イギリスがカトリック世界から離れたこともあり、フランス、特にカトリックでは、聖人とされています。 ジャンヌダルクの処刑ですが、フランス国王シャルル7世の即位後、シャルル7世とジャンヌダルクらのアルマニャック派との間で、路線に関しての齟齬が生じます。 シャルル7世は、百年戦争で荒廃したフランスの建て直しのために、ブルゴーニュ派との和解を試みます。 しかしブルゴーニュ派と敵対するアルマニャック派は、国王の停戦命令を無視し、ブルゴーニュ派の街を次々に攻撃し、略奪を繰り返します。 その先頭にたったのがジャンヌダルクでした。 そもそも百年戦争後半戦は、アルマニャック派とブルゴーニュ派のフランス国内における勢力争いで、当時の国王が、発狂していて、仲介で
今でこそ基軸通貨といえばドルですが、ドルの前の基軸通貨とはどこの国の通貨が使われていたのでしょうか?その前に基軸通貨とは何ぞや? 貿易など国際決済に使われるのが基軸通貨です。その基軸通貨ですが、時代の貿易体制や覇権国の消長と一体となりやすいのが特徴で、かつての覇権国の交代にはその勢力図を大きく塗り替える戦争がつきもので、およそ100年に1度主役が変わってきた歴史があります。 14~15世紀には、東方交易を中継した地中海貿易が隆盛を極める中、地中海の制海権をめぐるジェノバとの戦いに最終的に勝利を収めたベネチアが覇を唱え、その通貨であるドゥカード金貨が通用されました。 16世紀には、イタリア戦争にともなうフランスの侵攻によりイタリア港湾都市国家が疲弊し、逃避した金融資本の支援を受けたスペイン、ポルトガルが台頭、新大陸からの収穫やポトシ銀山(ボリビア)などの開発により大量の金銀が欧州に流入したた
m_um_u @m_um_u フランス革命の遠因 http://t.co/ZMeaOQgm 社団国家てのは絶対王政のことで、既存の第二身分に対して第三身分が2.5身分みたいな感じになっていったのはジェントリ→ジェントルマンの形成と同じで問題はなかったと思うんだけど http://t.co/oo2yFjrP 2012-04-15 23:10:18
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く