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2013年12月11日のブックマーク (4件)

  • 内藤廣が新国立騒動にもの申す「ザハに最高の仕事を」

    新国立競技場国際デザイン・コンクールで審査委員を務めた建築家の内藤廣氏が、国立競技場をめぐる議論に対し自らの意見を表明した。「異議を唱える諸氏は、振り上げた拳をどこに下ろすつもりなのか」と問い、「ザハに最高の仕事をさせることが最善の策だ」と訴えた。12月9日、自身のウェブサイトで文章を発表した。 内藤氏が新国立競技場について意見を表明するのは初めて。ザハ・ハディド・アーキテクトを最優秀賞とした審査委員会の一員として「結果に対して責任を負っている」、「審査委員長の発言や公式発表を越えた発言は、可能な限り控えたい」としたうえで、内藤氏個人の見解と危惧を述べた。 内藤氏の文章は、ザハ・ハディド・アーキテクトの案を評価する内容。「ザハ生涯の傑作をつくらせるのが座敷に客を呼んだ主人の礼儀だ」、「奇異な形に見えるかもしれないが、これを飲み込んでこそ、次のステップが見えてくるのではないか」などとした。

    内藤廣が新国立騒動にもの申す「ザハに最高の仕事を」
    motowaka
    motowaka 2013/12/11
  • 日本では美術批評のクライテリアがない - mmpoloの日記

    以前私が書いた岡太郎に関するエントリーのコメント欄で、「批判の仕方が薄っぺらい。人の意見ばかり借りていないでもう少し自分の主張の根拠を書くべきではないか」と、批判された。岡太郎のどこが悪いのか根拠を示せと。それが難しい。良いか悪いかは一目見れば分かる。それを理論的に語るのは難しい。なぜ夏目雅子が美しく林真理子がそうでないかを理論的に語るのが難しいように。 野見山暁治が書くように、個展の会場に一歩踏み入れれば作品が良いか悪いかすぐ分かってしまう。とにかく分かってしまうのだ。なぜ良いのだろう、なぜ悪いのだろう。なぜ夏目雅子は美しく、林真理子はそうでないのだろう。 ずいぶん昔になるが、ギャラリイKで美術評論家の椹木野衣のトークショーがあった折り、吉田暁子が椹木に対して、日には(美術に関して)クライテリアcriterionがないと批判した。私が吉田にその言葉の意味を問うと、基準のことだと教え

    日本では美術批評のクライテリアがない - mmpoloの日記
    motowaka
    motowaka 2013/12/11
    その人なりに筋が通っていれば、その都度いろんな基準のよさで評価してもかまわないと思う。それを他者に説明するのは確かに難しいが、通じない可能性は承知でコミュニケーションするのは、決して無駄ではない。
  • スタバ併設TSUTAYA図書館 佐賀の中学「登下校中ダメ」 - 日本経済新聞

    佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長は9日の市議会会議で、民間に運営を委託した武雄市図書館に対し、県立武雄青陵中(平川年明校長)が登下校中の立ち寄りを生徒に制限したと明らかにし、学校側の対応を批判した。一般質問への答弁で「非常に不見識で憤りを感じる」と述べた。武雄市は図書館の運営を4月から、DVDレンタル店「TSUTAYA」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)に委託している。市長の目

    スタバ併設TSUTAYA図書館 佐賀の中学「登下校中ダメ」 - 日本経済新聞
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    motowaka 2013/12/11
  • “芸術”という腐った楽園 週刊プレイボーイ連載(126) – 橘玲 公式BLOG

    スクープは大きくふたつに分けられます。ひとつは、これまで一般に知られていなかった秘密を暴くもの。もうひとつは、誰もが当たり前だと思っていたことに対して、「それはルール違反だ」と指摘するものです。公募美術展「日展」の書道部門で、入選数を有力会派に事前分配していたという朝日新聞のスクープは後者の典型でしょう。 日の美術界は芸術院会員を頂点とするピラミッド組織で、弟子は階級が上がるほど上納金が増え、「日展に入選するには審査員に心づけを渡し、作品を購入しなければならない」というのが常識でした。これは茶道などの家元制度を持ち込んだものでしょうが、「公募」をうたっていながら、有力会派に属していなければ入選できないというのでは、不正審査といわれても仕方ありません。報道を受けて日展は、日画や洋画を含む全部門で最高賞の選考を中止することを決めました。 こうした問題が起きるのは、日展だけでなく日の美術界

    motowaka
    motowaka 2013/12/11
    “日展というのは、芸術では食べられなくなった芸術家の集金システム/美術学校の教員が売っているのは“芸術という幻想”で、日本国内では一流とされる美大の教授でも世界の美術界ではまったくの無名”