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ブックマーク / mmpolo.hatenadiary.com (16)

  • 高階秀爾『日本人にとって美しさとは何か』を読んで - mmpoloの日記

    高階秀爾『日人にとって美しさとは何か』(筑摩書房)を読む。高階は現存の美術評論家として第一人者の大御所だ。新しい日の作家たちを紹介した3部作『日の現代アートをみる』『ニッポン現代アート』『ニッポン・アートの躍動』(いずれも講談社)はとても良かった。紹介された100人近い作家の選定も高階の確かな眼を感じさせたし、個々の作品を解説する文章が見事だった。さすが大御所と感じ入った。だから書も期待して読んだ。 最初に「言葉とイメージ 日人の美意識」という講演録が収録されている。一昨年の静岡県での講演とあるが、どんな聴衆相手なのか分からない。あまりレベルが高くないのは一般の人を前に話したものだろうか。第2部では日の絵画と西洋の絵画を比較している。日の伝統絵画や、江戸末期から始まった日の洋画について意外に高く評価していて勉強になりおもしろかった。 第3部は「日人の美意識はどこから来るか

    高階秀爾『日本人にとって美しさとは何か』を読んで - mmpoloの日記
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    motowaka 2016/02/11
  • 練馬区立美術館の庭の彫刻 - mmpoloの日記

    東京都練馬区立美術館の庭の彫刻が楽しい。美術館のちらしから、 ここは練馬区立美術の森緑地 不思議な動物たちが住みついた。 天然芝を敷きつめた園内に潜むのは、 20種類・32体のファンタジーな彫刻群。 誰もが知っている動物が、 誰も見たことのないアートになりました。 見て触れて想像を巡らせる、 ここはいわば"幻想美術動物園"。 そのいくつかを紹介する。 「」by島田紘一呂 「キノコ」by鞍掛純一 「ネリマーマ」byあきびんご 「ネリビー」byナガクラトモヒコ そのネリマーマの作者あきびんごの個展はここでも何度か紹介した。優れた日画家だが、絵も描いていて絵作家としてあきびんごの名前を使っている。日画家としての名前は村上潔だ。 ・あき びんごの絵『ゆうだち』がおもしろい(2012年10月12日) ・みゆき画廊の村上潔=あき びんご展が楽しい(2011年10月12日) ・ 練馬区立美術

    練馬区立美術館の庭の彫刻 - mmpoloの日記
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    motowaka 2016/01/06
  • 『丸山眞男と田中角栄』で印象に残った言葉 - mmpoloの日記

    以前、佐高信と早野透の対談『丸山眞男と田中角栄』(集英社新書)を紹介したが、なかで特に印象に残った言葉があった。 佐高信  中曽根が国鉄民営化をやる。小泉が郵政民営化をやる。しかしそれは民営ではなく、会社にしたということに過ぎません。そう私は常々言っているんです。国鉄民営化の際に、北海道の町長が「国鉄が赤字というけれども、では、警察が赤字だと言うか。消防が赤字だと言うか」と批判したそうです。警察と消防と国鉄は、同じ公共機関だということを言っている。赤字黒字は、公共のものについては簡単には測れない。僻地に10億かけることが、狭い意味での経済合理性にかなうかということではなくて、そこに民が住んでいるというところから発想しなければ公共の経済、あるいは生活の経済とは言えません。国鉄民営化と郵政民営化は喝采を浴びたけれども、それは都会の人間の発想です。政治は赤字黒字で測ってはいけないものです。 ここ

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    motowaka 2015/10/16
  • 東京国立近代美術館の「生誕110年 片岡球子展」を見る - mmpoloの日記

    東京国立近代美術館で「生誕110年 片岡球子展が開かれている(5月17日まで)。1905年生まれ、2008年に103歳で亡くなった日画家、文化勲章を受章している。 「面構」シリーズが代表作で、それらのいくつかは図版などでしばしば見かけるし、作品も何点かは見ていた。しかしこんな風にまとめて見るのは初めてだった。 最初の部屋に49歳の時に描いた「飼育」と題する作品が展示してある。思わず笑ってしまった。小学生の子どもたち3人が鶏の世話をしているらしい。最初、真ん中の男の子が人形かと思った。両脇の女の子も形が取れていない。球子は下手だよとは聞いていたが、こんなだとは想像もしていなかった。会場を進んでいったが、球子はちっともうまくならない。よくこれで大家になれたものだとあきれた。 ようやく61歳のときの「面構 足利尊氏」「面構 足利義満」「面構 足利義政」が並んでいる。これは良かった。なるほど球子

    東京国立近代美術館の「生誕110年 片岡球子展」を見る - mmpoloの日記
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    motowaka 2015/04/12
    “西洋の見方からすれば、日本の絵画のデッサンは狂っている。そこへ球子が入っていったので、下手でデッサンが狂っているとしか見えなかった球子の作品が別の文脈で評価されることになったのだろう。”
  • T&Sギャラリーで「検証・斎藤義重の現場へ」を見る - mmpoloの日記

    東京品川区のT&Sギャラリーで「検証・斎藤義重の現場へ」が開かれている(4月25日まで)。斎藤は1904年東京生まれ、1978年東京国立近代美術館で大規模な個展開催。ほかにも1984年東京都美術館ほか、1993年横浜美術館ほか、1999年神奈川県立近代美術館で個展を開催した。2001年に97歳で死去。 多摩美術大学で教え、関根伸夫、吉田克朗、田眞吾、成田克彦、小清水漸、菅木志雄など、のちに「もの派」を形成する作家たちに強い影響を与えた。 多摩美術大学を退官したあと、東京芸術専門学校(TSA)を設立し講師に着任、のち学校長に就任した。1996年にT&Sギャラリーを開館し、開館記念として斎藤義重展を開催した。 今回の「検証・斎藤義重の現場へ」は、その時の展示を再現している。ちらしによると、 検証・斎藤義重の現場へ展は、1996年のT&Sギャラリー開館時に斎藤義重個展において展示された複合体「

    T&Sギャラリーで「検証・斎藤義重の現場へ」を見る - mmpoloの日記
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    motowaka 2015/04/02
  • 銀座スルガ台画廊の川越ゆりえ個展を見る - mmpoloの日記

    銀座スルガ台画廊で川越ゆりえ個展が開かれている(11月8日まで)。川越は1987年富山県生まれ。2011年に富山大学芸術文化学部造形芸術コースを卒業し、2013年に同大学大学院芸術文化学研究科を修了している。2012年に同じ銀座スルガ台画廊で個展を開いていた。 川越は「人の感情はまるで虫のようだ」と書く。「我々の中に潜む、嫉妬や恐れなどの様々な感情は、どこからともなくやってきて人の心に寄生し棲み付き、気付いた時には増殖し、内側から人を喰い、操る。気づいた時にはその感情に支配されているかの様に我々は冷静さを失ったり、落ち込んだりしてしまう」。そのことが虫に似ているといい、感情を虫に象徴させて不思議な昆虫に似たオブジェを作っている。 しかし、私はこれらのオブジェの元になったものや、それらの感情の造形化が特におもしろいと思ったのではなかった。端的に個々の造形のおもしろさと、それを展示する洗練され

    銀座スルガ台画廊の川越ゆりえ個展を見る - mmpoloの日記
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    motowaka 2014/11/05
    “もちろん、これらのオブジェが何に由来するのかは作家にとってのみならず、見る者にとっても興味深いものだ。だが、それ以上に形としてのおもしろさ、展示形式の完成度の高さに興味を惹かれたのだった。”
  • 東京国立近代美術館の常設で見た興味深い作品 - mmpoloの日記

    東京国立近代美術館の常設展で興味深い作品を見た。とくにその解説が印象深かった。こんな風に解説してくれれば、作品がずっと身近になるだろう。 津田青楓「犠牲者」1933年、油彩 この作品は、1933年(昭和8年)の小説家小林多喜二(1903−1933)の虐殺に触発されて描かれたものです。津田は、「十字架のキリスト像にも匹敵するようなものにしたいという希望を持つて、この作にとりかかつた」(『老画家の一生』)と記しています。拷問をうけ吊り下げられた男と、左下の窓を通して取り込まれた建設中の国会議事堂が対比されます。プロレタリア芸術運動への弾圧が激しさを増す中、津田自身も家宅捜索の後、一時拘留されました。《ブルジョア議会と民衆生活》は押収されましたが、幸いこの作は隠し通すことができました。 厳培明(ヤン・ペイミン)「スーダンの少年」1998年、油彩 ヤンは、中国は上海の生まれ。現在はフランスのディジ

    東京国立近代美術館の常設で見た興味深い作品 - mmpoloの日記
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    motowaka 2014/02/11
    東京国立近代美術館の常設展で興味深い作品を見た。とくにその解説が印象深かった。こんな風に解説してくれれば、作品がずっと身近になるだろう。
  • 『食の戦争』を読んで - mmpoloの日記

    鈴木宣弘『戦争』(文春新書)を読む。副題が「米国の罠に落ちる日」というもの。カバーの袖の惹句から。 いま、世界で「戦争」が進行している−−。遺伝子組換え作物が在来作物を駆逐し、ごく少数の企業が種子の命運を一手に握る。金の論理で「」をコントロールするアメリカの狡猾な戦略を前に、無策の日はどうすべきか。危機の質と処方箋を考える。 毎日新聞に松原隆一郎による書のすぐれた書評が載っていた(2013年10月8日)。 ……著者は農水省で国際交渉にかかわった体験をもとに自由化にさらされる我が国の貿易政策を現場から分析、牛成長ホルモンや遺伝子組換え(GM)技術の危険性も訴えてきた。この分野の第一人者として、書はその最新報告書である。 主張は明確だ。TPPは「外交交渉」という紳士的な語感から連想される生ぬるいものではなく、ズバリ「をめぐる戦争」で、「今だけ、金だけ、自分だけ」の利益を追

    『食の戦争』を読んで - mmpoloの日記
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    motowaka 2013/12/21
    “TPPとは人口の1%ながらアメリカの富の40%を握る多国籍的な巨大企業中心の、「1%の1%による1%のための」協定/「1%」の人々の富の増加によって総計としての富が増加すれば効率的だという、乱暴な論理。”
  • 日本では美術批評のクライテリアがない - mmpoloの日記

    以前私が書いた岡太郎に関するエントリーのコメント欄で、「批判の仕方が薄っぺらい。人の意見ばかり借りていないでもう少し自分の主張の根拠を書くべきではないか」と、批判された。岡太郎のどこが悪いのか根拠を示せと。それが難しい。良いか悪いかは一目見れば分かる。それを理論的に語るのは難しい。なぜ夏目雅子が美しく林真理子がそうでないかを理論的に語るのが難しいように。 野見山暁治が書くように、個展の会場に一歩踏み入れれば作品が良いか悪いかすぐ分かってしまう。とにかく分かってしまうのだ。なぜ良いのだろう、なぜ悪いのだろう。なぜ夏目雅子は美しく、林真理子はそうでないのだろう。 ずいぶん昔になるが、ギャラリイKで美術評論家の椹木野衣のトークショーがあった折り、吉田暁子が椹木に対して、日には(美術に関して)クライテリアcriterionがないと批判した。私が吉田にその言葉の意味を問うと、基準のことだと教え

    日本では美術批評のクライテリアがない - mmpoloの日記
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    motowaka 2013/12/11
    その人なりに筋が通っていれば、その都度いろんな基準のよさで評価してもかまわないと思う。それを他者に説明するのは確かに難しいが、通じない可能性は承知でコミュニケーションするのは、決して無駄ではない。
  • 韓国の現代美術を見たい - mmpoloの日記

    ギャラリーQから案内をもらって、四谷の韓国文化院へ「チャレンジ・アート・イン・ジャパン2013」を見に行った。副題が「韓国人留学生による現代アート展」。ペッパーズ・ギャラリーで個展を見たパク・ナヒョンや、アートスペース羅針盤で個展を見た兪京辰(ユ・キョンジン)、ステップス・ギャラリーで個展を見て強く印象に残った姜善英(カン・ソンヨン)などが出品されていた。 ロビーに展示されていたグループ展を見て帰りかけたとき、玄関を入ってすぐの壁面に大きな作品が設置されているのに気付いた。一見してミニマル・アートの傑作だと分かった。作品の横に貼られているプレートを読むと、「接合 79-21 NO.3, NO.7, NO.2」と題されており、作家は河鐘賢(ハ・ジョンヒョン)とあった。作品は1979年制作、サイズは220cm × 120cmのものが3枚並べられている。技法について、「麻のキャンバスの後ろから前

    韓国の現代美術を見たい - mmpoloの日記
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    motowaka 2013/12/09
    河鍾賢は富山近美が1点収蔵している(1987年の富山国際現代美術展で招待)。1億円は本当かなと思うが、ともかく評価額が上がってるんだなー。渋いけど、いい作品です。
  • 門田秀雄氏による瀧口修造試論「批評も思想ぬきで成り立つ」 - mmpoloの日記

    去る7月28日、東京京橋にあるギャラリイKで開かれている企画展《日コラージュ2007》に関連してギャラリートークが行われた。ゲストは美術作家でもあり川崎市民ミュージアムの学芸員でもある仲野泰生さんと、同じく美術作家でもあり美術評論家でもある門田秀雄さんだった。門田さんは美術批評誌「構造」を個人で主宰・発行されている。 仲野さんは、日近代の問題、個と共同体、岡太郎の思想とその周縁について話された。 門田さんは戦後の最も重要なモダニズム批評家瀧口修造について話された。瀧口はモダニズム美術においてカリスマであり、門田さんも記しているように徹底的に神格化されている。ここに紹介するのは講演の際に配られたレジュメである。いずれ瀧口修造論を完成させて発表するつもりだと言われたが、とても優れた内容なので門田さんにお願いしてテキストを提供していただいた。表題の「瀧口修造論試論『批評も思想ぬきで成り立つ

    門田秀雄氏による瀧口修造試論「批評も思想ぬきで成り立つ」 - mmpoloの日記
    motowaka
    motowaka 2013/11/02
    "瀧口は言葉の物質化と言った。それは門田さんによれば言葉から概念や内容を取ることにほかならない。そう言う意味では瀧口の方法は一貫していると言えるだろう。" …「思想」必須とするのは「近代」的な気がするが
  • バーネット・ニューマン「アンナの光」売却 - mmpoloの日記

    DIC(旧・大日インキ)は、同社が運営するDIC川村記念美術館が所蔵するバーネット・ニューマン「アンナの光」を、海外企業に103億円で売却したと発表した。バーネット・ニューマンはアメリカ抽象表現主義のトップに位置する画家。「その「アンナの光」はニューマンの最大規模の作品で、左右610cmという大きなもの。同美術館では、マーク・ロスコ、フランク・ステラと並ぶ美術館の目玉作品だった。 ニューマンはアメリカ抽象表現主義の作家たちのなかでも最も中心的な画家だという。だが日での知名度は意外にも高くはなかった。ニューマンの作品は「アンナの光」のように巨大なものが多く、それがわずかの縦線を除いて1色で塗り込められているという単純なものだ。日での回顧展は3年前のこの川村記念美術館でしか開かれていないし、仄聞ではこの美術館以外には大きな作品は収蔵されていない。そういう意味では、川村記念美術館だけが、日

    バーネット・ニューマン「アンナの光」売却 - mmpoloの日記
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    motowaka 2013/10/12
    “民間企業がこんなにも次々に現代美術の優品を買い集めることができたのも、経営者が創業家出身で(おそらく)ワンマンだったからだろう。”
  • 群馬県立近代美術館と川村記念美術館 - mmpoloの日記

    4月8日朝日新聞夕刊に「新生美術館を味わう」という記事が載っていた。群馬県立近代美術館と千葉の川村記念美術館が改築・増築したという記事だ。群馬では採光と照明設備を改善し、展示室が明るく開放的になったという。川村は企画展示ホールを増設し「バーネット・ニューマンやフランク・ステラの作品など、従来のスペースでは展示しきれなかった大作を常設する」という。抽象表現主義のトップに位置づけられているニューマンの今回展示されている「アンナの光」は縦276×横611cmの巨大さだ。 新生美術館に対して少しばかりアヤをつければ、群馬県は数年前この近代美術館のほかに群馬県立館林美術館を作りながら、収蔵点数が涙の出るくらい少ないのだ。文字通り箱もの行政だ。そのことは以前書いた。 「これでいいのか、群馬県立近代美術館」(id:mmpolo:20070125) 川村記念美術館については、ここが大日インキの一部門であ

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    motowaka 2013/10/05
    “なぜ美術館が企業の一事業部門なのですか? いざというとき収蔵作品を売却することができるためです。何ともはや。”
  • 現代アートは感じるものか? - mmpoloの日記

    高階秀爾『ニッポン現代アート』(講談社)の書評で、原田マハが「現代アートとは、わかるものではなく、感じるものだ」と言っている(朝日新聞、2013年6月23日)。そうだろうか。原田は書く。 少し前に、現代アートの美術館を女性雑誌の編集者とともに訪れた。その人は、「恥ずかしい限りですが、私、現代アートというのがよくわからなくて……」と正直に打ち明けた。私は答えた、「わからなくて当然ですよ、私だってわからないんですから」と。 私も、かつて現代アートを「わかろう」と努めた時期がある。次々に登場する最先端の表現を、ある種の類型や流派に当てはめて、「多分、こういうことだろう」と結論してみたりもした。しかし、ようやく「わかった」のは、現代アートとは、わかるものではなく、感じるものだということだった。 編集者の言葉を「正直に打ち明けた」と引くのは変だろう。それはさておき、現代アートが分からないということに

    現代アートは感じるものか? - mmpoloの日記
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    motowaka 2013/07/11
    「わかる」「理解する」とは正解の存在が前提で、つまり作者の意図になるのだろうが、「感じる」「考える」いずれの場合も、すでに作者の意図を超える受け取り方も否定されていないのが現代ではないかと思う。
  • 『ニッポン現代アート』はお勧めだ - mmpoloの日記

    高階秀爾『ニッポン現代アート』(講談社)を読む。講談社のPR誌『』の表紙に現代美術の作品を取り上げ、その作品解説を高階はもう7年間以上も続けている。書はその平成20年7月号から平成22年12月号までの30点をまとめたものだ。 まず高階のみごとな「序」から始まる。 現代アートは今、混沌のなかにある。混沌のなかにあるとは、拠るべき場所、帰属する陣営、掲げる旗幟がないということである。かつてはアートは、創造活動は、歴史のなかでそれぞれが収まるべき場を与えられていた。大きくは体制派と反体制派、あるいは保守対前衛という区分けであり、前衛派のなかにフォーヴィスムやキュビズム、シュールレアリスムや抽象、ポップ、ミニマリズム、コンセプチュアリズムなど、然るべき理論に裏づけられた部屋が生まれ、それぞれの場でアート活動が展開されていた。 1970年代ぐらいからだろうか、このような事態に大きな変化が生じる。

    『ニッポン現代アート』はお勧めだ - mmpoloの日記
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    motowaka 2013/05/14
    「現代アートは今、混沌のなかにある。混沌のなかにあるとは、拠るべき場所、帰属する陣営、掲げる旗幟がないということである。」その認識は同感だが、70年代の前衛の終焉から… という以外にも転機はあった気が。
  • 東京都現代美術館閉館というガセネタの影響 - mmpoloの日記

    美術評論家の名古屋覚が『ギャラリー』4月号の「評論の眼」に、東京都現代美術館が閉館することになるだろうと書いた。 ……ところで、そんなインチキみたいな展示を多くやる東京都現代美術館を閉館し、主に都内在住作家による最新のアニメやゲームと、書や工芸などわが国の伝統美術を同時に紹介する「クールトーキョーフォーラム」を同館建物内に新設する方針を、東京都はこのほど固めた。収蔵品売却と美術館精算のために必要な条例案を年内にも都議会に提出するという。誌発行日には周知のことになっているだろう。 これが読売新聞などにも取り上げられ、東京都現代美術館が否定するなどの騒ぎになった。名古屋覚は雑誌の発売日(4月1日)にかけたエイプリルフールのジョークだと弁明し、『ギャラリー』編集部も事実ではなかったと謝罪した。 その影響か、『ギャラリー』5月号の「評論の眼」で名古屋が謝罪し、今回で連載を終了すると書いている。

    東京都現代美術館閉館というガセネタの影響 - mmpoloの日記
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