『無私の日本人』は、わたしの奇妙な体験からうまれている。説明するとこういう経緯である。『武士の家計簿』を書いてから10年ちかくが経ち、この作品は映画化もされた。映画はさすがに故森田芳光監督によるものだけあってヒットして150万人もの人が見てくれた。幕末に加賀藩ソロバン役人の猪山家という武士が借金を抱えたことにより家族が一致団結し、質素倹約をはじめる。見栄っ張りで華美な消費をやめて、地道に働き、子どもをしっかり教育して、明治維新という新時代の成功者になっていく「解決」の物語であり、『武士の家計簿』は原作も映画も作品としては、これ以上ないほどに、幸運な道をたどった。申し分ないはずであった。 ところが、わたしは、どうも落ち着かない。映画が悪いというわけではない。『武士の家計簿』で書いた「苦境に至った時、人は現状を嘆いても仕方がない。人に必要とされるような技術・知識を身に着けることで生き延びていか
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