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ブックマーク / note.mu (2)

  • サッカーの良さとは|篠原新汰/Arata Shinohara|note

    サッカーを人に勧める時、一番重要なことはサッカーの『良さ』を伝えることだと思う。もちろんそれを伝えるためには自分自身で腑に落ちたものを持っていなければならない。 そもそもサッカーというスポーツはいたってシンプル。相手より多く点を取った方が勝つスポーツである。それ以上でもそれ以下でもない。もちろんカテゴリーによってもプレーレベルによってもこの定義が変わることはない。もしこの定義が変わったら、サッカー新時代の幕開けかな。だからポゼッションもカウンターも選手の移籍も何もかも、そのための手段に過ぎない。全ては点を相手より多く取るための方法論なのである。 現代、サッカー好きのサッカーファンはこの『方法論』に熱中している。ポジショニングの分析をし、試合の総評をしたり選手の移籍の噂話に花を咲かせる。ある戦術に対してAの意見を持つ人とBの意見を持つ人が対立して議論を繰り広げる。もちろん悪いことではないしそ

    サッカーの良さとは|篠原新汰/Arata Shinohara|note
    mozunikki
    mozunikki 2019/02/13
    言語化しづらいから「とにかく一度スタジアムに来てくれー」ってなる。
  • 母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note

    去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ

    母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note
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