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mediaとblogに関するmozunikkiのブックマーク (3)

  • きれいごとで語られる実名報道はいらない。 - 二森日和。

    日航機墜落事故を巡る地方紙記者らの葛藤を描いた 横山秀夫の傑作『クライマーズハイ』のなかに、 「面取り」を巡るシーンが出てきます。 残念ながら、今、手元に原がない(多分物置)ので、 その部分を扱っているブログ「ガ島通信」さんの記事から 引用させていただきます。 悠木は、心に傷を持つ男として描かれているわけですが、そのひとつの要因がサツキャップ時代に部下を「殺してしまった」ことにあります(もうひとつは家庭環境)。被害者の顔写真(面取り、ガン首とりなどといわれる)を取りに行った新人記者の望月に『なぜ死んだ人の顔写真を新聞に載せなくちゃいけないんですか?』と聞かれ、『馬鹿野郎、商売だからに決まってるだろう。写真が載っているほうがいい商品だから載せるんだよ』と怒鳴りつけ、望月が1時間後に自殺とも事故ともとれる交通事故で亡くなってしまうのです。 『ガ島通信』 NHKが「クライマーズハイ」をドラマ化

    きれいごとで語られる実名報道はいらない。 - 二森日和。
  • アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム

    アルジェリア人質殺害事件での被害者名の問題について、昨日もFacebookで書いた。私の意見を要約すれば、以下のようなこと。 つまり、新聞記者は『一人の人生を記録し、ともに悲しみ、ともに泣くため』などと高邁な理想で被害者の実名報道の重要性を語るけれども、実際にやってるのはメディアスクラムで遺族を追いかけ回しているだけ。つまり新聞記者の側は、「理想とすべき報道理念」を語っているけれども、遺族取材を批判する人たちは「現実の報道の姿勢」を問題にしているということ。 この乖離を埋める努力をしない限り、新聞記者の理念などだれにも理解されないよ、ということを書いたのだった。 しかしこの乖離を(たぶん無意識のうちにだと思うけれども)回避させている意見が、今日にいたってもあいかわらずマスメディアの側に目立っている。 たとえばカバの人が語るイメージ先行のメディア批判とメディアの説明責任というTogetter

    アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム
  • 「新聞は偏りがないから読め」とかもうすぐ言えなくなるよ - ajickr blog

    新聞社どうなっちゃうの!? と不安になった。まずはこちらを読んでください。 インターネットで情報が氾濫(はんらん)し、新聞を巡る環境は激変しています。しかし、インターネットでは、自分が必要とする、興味を持つ情報しかアクセスしないため、偏った情報になりがちです。一方で、新聞は新聞記者が情報の裏付けを取って確認し、見出しの大きさによって記事の重要度を示すため、記事に対する責任の所在が明らかで、価値基準が一目りょう然の、しかも広範な情報に触れることのできるメディアといえます。 このインターネットと新聞の比較は、を購入する時に似ています。購入するが決まっている場合、インターネットで注文すれば時間や手間が省けます。しかし、リアル(物の)書店に行くことによって、思ってもみなかったを見つけることができるのです。 生活するうえで、社会の情報を共有することがいかに大切であるかを知り、もっと新聞に親し

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