ハフポスト日本版ニュースエディター 特集「#だからひとりが好き」ディレクター News Editor, HuffPost Japan
![【終戦の日】「日本が失敗するパターン」とは 歴史家・磯田道史さんと近現代史をひも解く](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4a9a12c56969a9dda17ac1c792a1c69c1af30b6c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5c635f0720000001016e26ad.jpeg%3Fops%3D1200_630)
第二次大戦時、アメリカと日本の国力には12倍の差があったと言われる。巨大な敵に、先人たちは本気で勝てると考えていたのだろうか。戦後70年のいまこそ、昭和陸軍の「戦略構想」を問い直す。 カギを握る4人のエリート 「満州事変以降の『昭和陸軍』をリードしたのは陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』。満州事変の2年前の1929年に結成されました。メンバーは東条英機、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら約40人。 一般的には東条が日本を破滅に導いたように思われていますが、昭和陸軍の戦略構想を立てたのは永田と、石原、武藤、田中の4人。東条は彼らの構想に従って動いたに過ぎません。 永田を中心にした彼ら4人とも、単なる軍事エリートではなく、当時の日本社会では知性と教養を併せ持つ知的エリートでした。戦前の陸軍は何も考えずに暴走したと思われがちですが、そうではなかったのです」 川田稔・名古屋大学名誉教授はそう
私たち地方議員は、かつて幕末の坂本龍馬らが幕藩体制を倒幕した草莽の志士のごとく、地方議会から「誇りある国づくり」を提唱し、日本を変革する行動者たらんことを期す。(平成17年5月30日~) 12 月<< 2024年01 月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 >>02 月 今日は何の日 3月8日 1944年 - 第二次世界大戦:インパール作戦が始まる。 作戦を指導した牟田口中将 大東亜戦争の末期、昭和19年3月から6月にかけて、日本陸軍はビルマ(現在名ミャンマー)からインド北東部の要衝、インパールを攻略しようとして作戦を発起し勇戦したが補給の不備で果たさず、空と地から英国軍の反攻を受けつつ退却した。 負傷し、飢えて衰弱した体でマラリアや赤痢に罹患し、退却途中で大半が力つきて、退路には延々と日本兵の腐乱死体や白骨が折り重
日本会議 誇りある国づくりへ 草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN 私たち地方議員は、かつて幕末の坂本龍馬らが幕藩体制を倒幕した草莽の志士のごとく、地方議会から「誇りある国づくり」を提唱し、日本を変革する行動者たらんことを期す。(平成17年5月30日~) 1944年-インパール作戦が始まる (中略) こうした酸鼻な敗戦だから、作戦を指導した牟田口中将は戦後あらゆる罵声を浴びせられた。負ければ賊軍は世の習いである。然し、幾らそんな評価をしても失われた生命は帰ってこない。 寧ろ戦争を知らない世代を生きる我々は、歴史を評価するのでなく「何を学ぶか」が大切なことだと思う。インパール作戦は戦争を知らない我々には不思議なことが幾つかある。 その基本戦略に反してインドに撃って出ようというインパール作戦は最初に書いたようにその翌年3月である。なぜ、この時期にこういう作戦を立てたのか。 反対していた大本営
特攻とは何か。特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】 ◇ ◇ ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。ところが、そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。“軍神”が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺ
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