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島崎藤村と文学に関するmshkhのブックマーク (1)

  • 老獪な偽善者 - jun-jun1965の日記

    芥川龍之介の自殺後発表された『或る阿呆の一生』に、「『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった」とあった。これは島崎藤村の『新生』のことだとされている。藤村は、これについて書いており、この『新生』が私の『新生』のことだとすれば、としている。 つまり、ダンテの『新生』ではないかという疑問もあるわけだが、私は近ごろ考えて、ダンテのほうではないかと思うようになった。なぜなら当該文は、 しかしルッソオの懺悔録さえ英雄的な嘘に充ち満ちていた。殊に「新生」に至っては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。が、フランソア・ヴィヨンだけは彼の心にしみ透った。彼は何篇かの詩の中に「美しい牡」を発見した。 である。ルソーとヴィヨンの間に藤村がはさまるだろうか。ダンテのほうがよほど自然である。しかも、『新生』は例の、ベアトリーチェへの恋を歌ったものだが、その時ベアトリー

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