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米長邦雄に関するmshkhのブックマーク (3)

  • 羽生善治九段が語る、大山康晴十五世名人との対局。米長邦雄永世棋聖も加わってガチンコ勝負の感想戦【平成の将棋界を振り返る】|将棋コラム|日本将棋連盟

    将棋連盟TOP 将棋コラム 羽生善治九段が語る、大山康晴十五世名人との対局。米長邦雄永世棋聖も加わってガチンコ勝負の感想戦【平成の将棋界を振り返る】 「坊や、今日は対局かい?」四段に昇段してプロとして将棋会館に行った時に米長(邦雄永世棋聖)先生からよく挨拶代わりにこの言葉をかけて頂きました。 奨励会時代にあまり記録係を務めておらず、公式戦の雰囲気をよく知らないまま、四段になってしまったのでその言葉でだいぶリラックスする事ができました。 また、同時に大変な世界に来てしまった実感もありました。 当時はインターネットも無かったので棋士の名前と顔を知るのは将棋年鑑のプロフィールぐらいだったのですが、そこに掲載されていた写真も一部の人は長きに渡って更新されておらず、対局で顔を合わせて始めて実像を知る事もありました。それを考えると現代とは隔世の感があります。午前中の対局室はとにかく賑やかでほぼ、世

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  • 朝日新聞デジタル:米長邦雄さん死去 将棋永世棋聖・元名人 - おくやみ・訃報

    将棋連盟会長で元名人の米長邦雄(よねなが・くにお)さんが18日、死去した。69歳だった。  山梨県増穂町(現・富士川町)出身。佐瀬勇次名誉九段門下。1963年にプロデビューし、73年に初タイトルとなる棋聖を獲得。85年には十段、棋聖、王将、棋王の四冠王になった。  名人戦七番勝負には76年の初挑戦以来、6回登場したがいずれも敗退。7回目、93年の第51期名人戦で中原誠名人を破り、初めて名人位に就いた。49歳11カ月での名人奪取は最年長記録。タイトル獲得計19期は歴代5位。永世棋聖の称号も持つ。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方)無料登録で気軽にお試し! サービスのご紹介は こちら

    mshkh
    mshkh 2012/12/18
    これはショックだわ…
  • 米長永世棋聖「築いた万里の長城、穴が開いた」 電王戦敗北後の会見 全文

    プロ棋士対コンピュータ「将棋電王戦」の第1回戦が2012年1月14日おこなわれ、コンピュータ・ボンクラーズが日将棋連盟会長の米長邦雄・永世棋聖を下した。対局後の記者会見では敗れた米長永世棋聖が「万里の長城を築きながら、そこから穴が開いて攻めこまれた」と自身の敗北を表現。1秒に1800万手を読むというボンクラーズに対して「手を読ませない」作戦で序盤は想定通りの展開だったとしたものの、終盤に相手がコンピュータであれば「取り返しのつかないうっかりミス」を犯していたことを明かし、悔しさを滲ませた。 ・[ニコニコ生放送]将棋電王戦後、米長永世棋聖の会見から視聴 - 会員登録が必要 http://live.nicovideo.jp/watch/lv73267631?po=news&ref=news#8:26:40 男性プロ棋士が公式対局で敗れたのは初めてであり、歴史的な瞬間となった「将棋電王戦」。以

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