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限界集落と地方に関するmshkhのブックマーク (2)

  • 「超限界集落」ついに1世帯1人に 高齢者相次ぎ特養へ:朝日新聞デジタル

    仙台藩の藩境警備に由来する山中の集落で「超限界集落」化が進んでいた宮城県七ケ宿町稲子(いねご)の住人が、1世帯1人だけになった。昨年は3世帯4人が暮らしたが、高齢の3人が今年、相次いで町中心部の特別養護老人ホームに入居。残る1人も冬の間は山を下り、無人となる。 稲子は1681年、仙台藩が足軽10人を住まわせたのが始まりで、町役場から車で30分ほどの山あいにある。明治以降も養蚕や炭焼きで生計を立て、1960年には127人がいた。仕事を求めて若い世代が山を下り、自立生活ができなくなったお年寄りも次々と離れ、集落はついに消滅寸前となった。 町は6年前から、稲子に向かう町道の除雪費節減や吹雪の際の緊急搬送が難しいことを理由に、住人に冬期間は山を下り、施設や空いている町営住宅で過ごすよう要請してきた。さらに今夏までに、大葉富男さん(91)、敦子さん(88)夫婦と一人暮らしだった佐藤あきをさん(96)

    「超限界集落」ついに1世帯1人に 高齢者相次ぎ特養へ:朝日新聞デジタル
    mshkh
    mshkh 2017/12/14
    日本の将来だよなあ.ところで,たまに数人の住民が泊まる程度なら,水道,下水とかのインフラはどうすんのかな,維持していくんだろうか
  • 28年前に別居で出て行った母親を連れて実家(山口県周南市鹿野)に日帰りで帰省、押し寄せるノスタルジアに吐きそう - この世の果てブログ

    2015-09-20 28年前に別居で出て行った母親を連れて実家(山口県周南市鹿野)に日帰りで帰省、押し寄せるノスタルジアに吐きそう 記録 【スポンサーリンク】 Tweet 小学校4年の時に、両親が別居を始めた。結局、おやじの未練がだらだらと残り、離婚自体はかなり経ってから成立したのだが、俺と4歳の妹を連れて実家の鹿児島に遁走したおふくろは、その後、まともに山口県周南市鹿野を訪れることなく、28年が過ぎた。俺は、鹿児島の母方の祖父とどうしても折り合いを付けるができず、2年後、単身山口のおやじの元に戻り、高校卒業まで鹿野で過ごしたが、そのおやじも、俺が大学2年の5月に、家業をツブして蒸発。約10年後、蒸発先の金沢で大動脈瘤乖離で死んだ。享年54歳。鹿野には今年で94歳になる祖母が、叔母と一緒に住んでいる。 おふくろが、鹿野に行きたいと言い出した。祖母に会いたいと言い出した。墓参りをしたいと

    28年前に別居で出て行った母親を連れて実家(山口県周南市鹿野)に日帰りで帰省、押し寄せるノスタルジアに吐きそう - この世の果てブログ
    mshkh
    mshkh 2015/09/24
    「いざとなったら逃げ帰る場所がある都会の人間の上から目線の「田舎者ごっこ」」ほんまこれ
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