直視に耐えない現実を生き続けていると、妄想に取り憑かれるのは自然なことである。妄想は1人の人間を耐え難い環境から脱出させる為の力である。妄想とは、未知の大海原へとたつための帆でありオールである。また竜骨であり、船体でもある。ある時はライムであり、ある時はキャベツである。へさきに舞い降りて羽を休める鰹鳥であり、波間を跳ねながら虹色のしぶきを上げて進むイルカの群れである。地球に生命が生まれてからの長い長い苦難に満ちた年月を、私達の祖先は妄想という力によって生き延びてきた。人とも呼べぬ私達の祖は、妄想とも呼べぬ原始の妄想を手に未知へと挑み、新たなる境地を切り開き、旅を続け、僅かな生存空間を見つけた。そして生きた。生き延びた。そのような過去を持つ私達には、生まれながらにして妄想という能力が備わっている。妄想とは、生き物としての資質である。 しかしながら、現実は無情である。僕が賢明に生きたこの人生に