相手を馬鹿にするような話を一部の人が「人を食った話だ」と表現しているが、 こんな猟奇的な表現、現代ではタブーとされていることを知らないのだろうか? そういう人はかなり感覚が遅れていて、時代に追いつけていないことを自覚したほうがいい。 猟奇的なものは現代ではタブーだ。モラル皆無のマスメディアでさえ人肉食系の報道は 自主規制しているというのに、日常会話で「人を食った話」と猟奇的表現をする人は 感覚が時代に追いついていない。この記事で少しでもずれた感覚がまともになることを願う。
業病(ごうびょう)とは「前世の悪業(あくごう)の報いでかかるとされた、治りにくい病気。難病」(デジタル大辞泉)。元東京都知事の石原慎太郎氏(87)がツイッターに「業病のALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性」と投稿したことへの批判が止まらない。この種の問題発言は初めてではない。毎日新聞の過去記事データベースから物議を醸した発言を探してみたら、出てくる、出てくる、目を疑うような問題発言の数々。なぜ繰り返されるのか。当時、言及された当事者や差別思想に詳しい識者に石原氏の発言に通底するものを語ってもらった。3回シリーズで連載します。【野村房代、牧野宏美/統合デジタル取材センター】 患者に責任ないのに「悪業の報い」とは 最初は10年前、「どこか足りない感じがする」と言及された性的少数者から。その前に、今回批判されている問題のツイートを振り返ってみたい。 石原氏は7月27
尊厳死の議論が後退する 今回のALS嘱託殺人事件の報道を見て、もしかしたら日本における尊厳死の議論が後退してしまうのではないかと心配になった。 2人の医師は患者の主治医ではなかったし、130万円という報酬も受けている。過去の発言も過激で、これでは多くの人の理解や共感は得られないのではないかと思ったのだ。 医学において生命の倫理は最も重い課題だ。心臓が止まっていない患者から臓器を摘出して他人に移植する臓器移植についても、「事件」が繰り返されてやがて合意が形成された。 石原慎太郎さんが語った「介錯の美徳」 今回の事件もその一つになるのかなと思ったのだが、安倍首相はじめ政権はこの件にタッチせず。立憲の枝野代表に至っては「安楽死事件ではない」と述べてこの事件を安楽死や尊厳死に関連付けて議論すべきではないとの認識を示した。 維新だけが「尊厳死の法整備の議論をすべき」と言っているのが気になっていたら、
自己肯定感が高い/低いと言いますが、そもそも自己肯定感ってなんでしょうか。 自己肯定感が低い(とされている)人は生きるのがつらい。自分が失敗してしまったとき、壁にぶつかったとき、不運に見舞われてしまったときに、必要以上に落ち込んでしまう。自分がなにか行動を起こすとき、自己肯定感の低さが足かせになり、なかなか行動に移すことができない。そんな自分が嫌になり、どんどん消極的になってしまう。ひょっとすると、予想だにしない幸福が訪れた時でさえ、自己肯定感の低さがあだになり、それを素直に受け取ることができない。あるいは、実際にはそこまで不幸でもない現実と自己肯定感の低さとのギャップを埋め合わせるために、ついつい自傷行為や自分を傷つける媒体や人に走ってしまう。周りには自己肯定感の低い人が集まり、相互に作用しあってどんどん不幸になっていく(書いていて嫌になってきました)。結果、生きるのがつらい。 逆に自己
新型コロナウイルス感染が拡大する中、金沢市内のコンビニチェーン「ファミリーマート」の店主が、「県外ナンバー」の男性客に対して、カッターナイフを片手に退去を求めるというトラブルがあった。男性客はすでに、店主側の謝罪を受け入れており、告訴も損害賠償請求もするつもりはないが、一方で、コンビニ本社の対応には受け入れがたいものがあると述べる。 ●男性の車は県外ナンバーだった 客の男性によると、次のようなトラブルだった。 男性は7月16日未明、買い物をするため、金沢市内のファミリーマートの駐車場に車を停めた。すると、店主が店から出てきて、男性に車のエンジンを止めるよう言った。 その際、店主は、男性の車が県外ナンバーであることに気づいて、「金沢ナンバーじゃないとまわりからいろいろ言われてしまう」として退去を求めた。 男性は富山県内在住だったが、車のナンバーはそれ以前に住んでいた関西地域のもの(「なにわ」
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