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む村上春樹に関するmujigeのブックマーク (9)

  • 伝え語るパレスチナ 広河隆一氏講演会開かれる(2009.06.01) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press

    5月14日、文学部新館第3講義室にて「広河隆一講演会」(主催/人間環境学研究科 岡真理研究室)が開催された。昨年12月に起こったイスラエルによるガザ空爆に関して、パレスチナ問題の根底にあるものは何かを考えるために行なわれたものである。広河氏は40年近くに渡りパレスチナ問題を追ってきたフォトジャーナリスト。まず広河氏のこれまで記録してきた映像の集大成とも言える作品「NAKBAアーカイブス版」のうち「序章」にあたる部分の上映が行なわれた。 続いて第3次中東戦争のあと占領下のエルサレムで自分にむかって引きつった笑顔で白旗を振るパレスチナ人の少年を見て、この問題に自分は無関係ではないと感じさせられた話や、ある老人に「今ではなくなぜ一ヶ月前に来なかったんだ!」と詰め寄られた経験(老人の息子は一ヶ月前イスラエル兵に射殺されたのだった。しかし兵士も外国人ジャーナリストがいる前では、体面を気にしてそこまで

    伝え語るパレスチナ 広河隆一氏講演会開かれる(2009.06.01) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
    mujige
    mujige 2009/06/11
    村上春樹のエルサレム賞受賞を厳しく批判していた広河隆一氏の講演会記録。原則論を言い続けることの大切さ。
  • 村上春樹のエルサレム賞受賞は、改めてやっぱり問題だったという気が、、、:パレスチナ情報センター:Staff Note

    Posted by :早尾貴紀 昨日(5月27日)発売されたという村上春樹(以下敬称略)の最新小説『1Q84』が、発売前からのAmazonでの予約数が1万を越えたということで、前代未聞の反響らしい。今朝(5月28日)も、朝からNHKのニュースで大きく取り上げていました。 僕個人としては、どうしてこの小説のタイトルが、ドクトル梅津&浅田彰が1984年に出した『1Q84』(カセットテープ付き、ペヨトル工房)と同じなのか、意識してないはずはないと思うので、そのあたりの意図は何かな、と気になるぐらい。ドクトル梅津ファンとしては。 この機に便乗して、ドクトル梅津&浅田彰の『1Q84』をCDブックで復刊してくれる出版社は現れないかと期待したり(ペヨトル工房は倒産してしまったので)。 それはさておき。 今朝のNHKの村上春樹の大反響についてのニュースを聞いていて、エルサレム賞受賞がこういう傍証として利用

    mujige
    mujige 2009/05/29
    “残るのは、ただ「権威あるエルサレム賞を受賞した」という事実のみ。” その通り。スピーチの内容解釈にやっきになってた人たちがいたけど、受賞した時点でゲームセットなんだ。
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

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    mujige
    mujige 2009/04/08
    “91年の第一次湾岸戦争のときの論争以来、文学者だとか作家だとかいった人たちのなかに、戦争や政治をめぐる議論そのものがものすごく稀薄になってしまった”
  • Insane(追記あり) - nagonaguの日記

    anima | 01:53 | 「わたしは、いま当地にいます。それ以上のことは、わたしにはわからないし、どうすることもできません。じつは、わたしの舟には舵がないんです。それで、死の国のいちばん地底を吹いている風のまにまに流されていくだけなのです」フランツ・カフカ『猟師グラフス』*1「全体主義」や「内ゲバ」という言葉に引っ掛かり、そのような言葉を簡単に振り回すことを自戒すべきだと記した前々回の日記(『1984』)に対して、id:tari-Gさんはコメントで、まくしたてるように、人々がする批判を糾弾と呼び、ありもしない「砲列」をあげつらい「極めて素朴な全体主義」とまで断じる。「どんな語でも、もしそれがありとあらゆるものを意味するようになると、その語の明晰な輪郭は失われ、最後にはただのうつろな音となってしまう」*2まるでハンプティ・ダンプティのように「全体主義」という語を使うことは、全体主義をう

  • 村上春樹氏の「正論原理主義」への疑問 - lmnopqrstuの日記

    13:441 周知のように村上氏は次のように述べています。 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が一九六〇年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。*1 2 私自身の「言葉で誠実に語ろうとする」なら、私はまず「原理主義」という(効率の良い)批判があまり好きな方ではありません。それにそもそも人々が「自分の言葉で誠実に語ろうとする」なら、「原理主義」という言葉自体が乱用されていることにまず気づくんじゃないの?とつっこんだ人は私だけではないと思います。 それはと

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    mujige
    mujige 2009/03/22
    しばらくゆっくり考えてみてください。id:lmnopqrstu さんのコメントに全面的に賛同。
  • 「正論原理主義」を乗り越えて:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    村上春樹さんの「正論原理主義」 村上春樹さんのインタビューが、文藝春秋四月号に掲載された。そのインタビューの中で語られている「正論原理主義』という言葉が、インターネットのあちこちで波紋を呼んでいるようだ。 引用しておくと、正論原理主義という言葉は以下のような文脈で使われている。 ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細っ

    「正論原理主義」を乗り越えて:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
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    mujige 2009/03/19
    「イスラエルに与するのではなく、しかしイスラエルを厳しく糾弾する人たちに与するのでもない。そうした党派性からは一歩距離を置き」←こんな便利な立場があると考えること自体、幻想じゃないですかねぇ。
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    mujige 2009/03/16
    中国に戦争に行った父親も、春樹にとっては「傷つきやすい卵」なんでしょう。/↑父も戦争の“痛み”を抱えていることでしょう。しかし強いられた加害者にせよ、被害者と同列に並べることはできないと思います。
  • しゅっぱん夢日記:  やっぱり、提灯小僧だった

    エルサレム賞のムラカミさんが、また雑誌で弁解しています。 もう1カ月もたって、みんなすっかり忘れているのに、またまた弁解とは。よほど気が小さいか、後ろめたいのでしょうか。 文芸春秋4月号を買って「僕はなぜエルサレムへ行ったのか」を読ませてもらいました。 注<提灯(ちょうちん)小僧> 人が意味もなく殺された場所あたりに、小雨のふる夜に現れる。夜道を歩く人を背後から追い抜いては立ち止まって待ち、追い越されてはむきになって追い越す。理想と現実のギャップに悩んでいるのだという。 (2月20日の「ほら、となりに妖怪がいるよ・下」参照) ムラカミさんは「僕なりに深く考慮し、個人の資格でエルサレム行きを決断した」と書きました。 一読しての感想は、正しいと思って行動したというのなら、弁解などすべきではない、に尽きます。 さらに「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」に至っては、小泉さんじゃない

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    mujige 2009/03/15
    "巨大な軍事力で爆弾をばら撒いて命を奪うことを嫌悪し、平和を願う多くの声を「正論原理主義」というのなら、あきれてしまいます。" 内容もいいが、これが北海道新聞のサイトにあることが驚き。
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