タグ

言論に関するmujigeのブックマーク (4)

  • Non-Fiction(Remix Version) | ヘイトスピーチと言論の自由

    Apemanさんのこのエントリーを読むと、なんだか、「ヘイトスピーチにも言論の自由を!」とか言い出す人がいるようなのだけど、それは無理ってものだ。何が悪いか分からないと言いながらその口で言論の自由とか言っちゃうのが信じられん。 ヘイトスピーチにはおよそすべてについてと言って良いくらい共通して持っているメッセージがある。それは「お前たちは黙れ!」というものだ。性犯罪の被害を訴える人に対して押し寄せるセカンドレイパーも、歴史の証言者を嘘つき呼ばわりする歴史修正主義者も、外国人を排斥しようとするレイシストたちも、彼らはその相手から言葉を奪い、発言できなくするように仕向ける。それは単に言葉だけで行われるものではない。彼らが投げかける言葉の裏には、社会の差別構造や、匿名性に隠れての攻撃、場合によっては具体的な暴力さえ使って相手を黙らせようとする意図がある。ヘイトスピーチとはそれ自身が言論の自由の敵な

    mujige
    mujige 2009/07/16
    つまり、「差別する自由はない」という話だと思うんだ。参考→ http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090622/1245648319
  • 逆鱗と道徳 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.3: 日記 『悪魔の詩』がそのような小説であることは承知です。当然読んでいるので、ダシにしているのではない。ムスリムが表現の自由を圧殺する、ということではない。そういうのは単に「ゴキブリどもを殺せ」というプロパガンダであり、よく言って偏見の羅列です。問題は、ある表現が誰かの逆鱗に触れたとき、強制力の行使としての「自力救済」を私たちは認めるか、ということです。認める、というのが私の立場ですが、自力救済の範疇に人殺しが含まれうるか。むろん含まれますが、自力救済の範疇に人殺しが含まれることは認めない、というのが私の立場です。五十嵐一氏の事件は時効を迎えました。犯人が出国中は時効停止しますが。 尊敬すべきイスラム研究者であった氏に対して「五十嵐氏はあのを翻訳しなければよかったのに」と、後から言えるか。当然、読者が言えるはずもない。にもかかわらず、表現が必然的に誰かの逆鱗に触れうる

    逆鱗と道徳 - 地を這う難破船
    mujige
    mujige 2009/06/06
    結論的には「一人一人の心がけ」という話にしか読めない。これではマイノリティーは救われまい。マジョリティーの言う「自由と寛容」など信用できない、というところに問題はある。
  • さて、言いたいことは単純明快だ——「ゴキブリを殺せ」というプロパガンダに相当するのは、陵辱ゲームと規制の主張、一体どちらか。2009.6.3: 大蟻喰の日記

    もういい加減にやめにしようと思っていたのだが、「ルワンダ虐殺のDJ」呼ばわりされては黙っている訳にも行かないので書くことにする。ちなみに『地を這う難破船』氏には常々深い敬意を抱いているし、言論商売人の言論などより一般のブログの方が余程ちゃんとしていると私が確信するに至ったのは、この方を含む何人かのブロガーが一読に値する以上のことを書いているからである。商売人なんて信用しちゃいかんよ、連中、『レイプレイ』問題に関しちゃまだだんまりを決め込んだまんまだろ? この件がどのくらい続くか、どのくらいの収穫の上がる畑か見極めて、事態を左右するには手遅れという段になってから、例によって役にも立たない、故に何を失うこともない、取り敢ず声は上げ続けてるから、という議論で稿料を稼ごうと思案してる最中だからね。そういう姿は教科書問題でとっくり拝ませていただいた後だ。一つ、賭けをしてもいい——この件に関して公のメ

    さて、言いたいことは単純明快だ——「ゴキブリを殺せ」というプロパガンダに相当するのは、陵辱ゲームと規制の主張、一体どちらか。2009.6.3: 大蟻喰の日記
    mujige
    mujige 2009/06/06
    じつにわかりやすい。“表現を舐めてはいけない。たとえ絵に描いたものにすぎないとしても、それは確実に、人間の心に何かを刷り込み、作り出す。”すでにその実例は在特会の連中が示してくれている。
  • 自由なことばのために - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    金石範さんが、1994年に「週刊金曜日」(!)に書かれた「天皇制とチマ・チョゴリ」という文章があります。  金石範さんは、その昔、強制されていた外国人登録証の指紋押捺を拒否されていた方であり、トーロク(わたしは、こう読んでいます。外登証とは言いません)の「常時携帯」にも反対をされていて、ふだんは、机の引き出しの片隅へ放りこんだままにされていたそうです。もし、外出先などで「不携帯」が見つかり、警察へ連行されたとしても、それなりに対処しようと思われていたそうで、それよりも、毎日トーロクを軀(からだ)にまとって歩くことのほうが、面倒なだけでなく、他に原因のない気分の悪さに見舞われたりする、だから不携帯であった、そのように書かれていました。 この「天皇制とチマ・チョゴリ」の冒頭部のこのくだりを読みながら、わたしは、とてもうんうんとうなずいていました。わたしも、普段はトーロクは不携帯で、もし「不携帯

    mujige
    mujige 2009/05/06
    いまの日本で「言論の自由」ほど恣意的に使われている言葉はない。自由の本来的意味をよく考えたい。/id:ryokusai言葉の意味は文脈で決まるんだよ。君の言う「チョーセン」と朝鮮人が言う「朝鮮」とは意味が違うんだ。
  • 1