2009年4月25日のブックマーク (3件)

  • 白樺派の画家たち | daily-sumus

    水明洞の店頭100円均一では展覧会図録がよく出ている。これまであまり図録類は買わなかったが、最近は、自分でも不思議だが、美術系の資料に回帰している感じなのである(画家と名乗っている以上、当り前と言えば言えないこともないけれど)。これもそんな一冊。日橋東急百貨店一九七一年一〇月八日〜一八日に開催されたもの。 要するにこの集合写真に惹き付けられた。キャプションには《草土社第七回展覧会記念/写真 後列左から二人目中川 芝川 二/人おいて木村 川幡/前列 田村 横堀/劉生 椿 中島》とある。中川一政、芝川照吉、木村荘八、川幡正光、田村憲、椿貞雄、中島正貴、他三名である。みんな若い。草土社第七回展は大正八年の十二月に赤坂溜池三会堂で開催された。岸田劉生は二十八、中川一政は二十六。 そして草土社を後援していた芝川照吉は四十八だった。佐野繁次郎の父親の親友で親戚にもなる人物。おそらくこの大正八年に佐野

    白樺派の画家たち | daily-sumus
    musha-gumi
    musha-gumi 2009/04/25
    草土社第七回展覧会記念写真あり。日本橋東急百貨店にて1971/10/8~18開催の図録。
  • 岸田劉生と横山重 - 神保町系オタオタ日記

    岸田劉生の没後八十周年ということで、美術雑誌では劉生やら麗子像の特集が組まれている。ところで、劉生の日記*1に横山という人が出てくる。 大正9年1月4日 横山といふ、鵠沼の四軒別荘にゐる文をやる人、宇野清之助[ママ]といふこの頃認められ出した文をやる若い人と一緒に来る。 1月12日 「午後気持なほしにと思ひ、四軒別荘の横山君を訪ぬ。宇野君も居たり。麗子をともなふ。麗子やうかんを頂きてよろこぶ。(略)」(廿一日思出して附記) この横山だが、『書物捜索』の横山重だった。同書にも劉生との出会いについて記されている*2が、「竹林抄古注「後記」」『横山重自傳(集録)』によると、 ちやうど、第一次の世界大戦の中期から、わたしは鵠沼の貸別荘に移り住んだ。アララギの仲間の宇野喜代之介が東大の独文を出て、しばらく私宅に来てゐて、小説を書いてゐた事から、彼の友人の舟木重信とも知り合ふやうになつた。彼の長兄の重

    岸田劉生と横山重 - 神保町系オタオタ日記
  • 里見とんの恩地孝四郎装幀本 - 神保町系オタオタ日記

    便利ながあった。かわじもとたか『装丁家で探す 古書目録にみた装丁家たち』(杉並けやき出版、2007年6月)によると、里見とんので恩地孝四郎により装幀がされたのは、 『白酔亭満[ママ]記』感想小説集6 大正13年 新潮社 『里見弓享集』千部 昭和4年 春陽堂 『渦心』 昭和8年 新小説社 『文章の話』 昭和12年4月 新潮社 これに『直輔の夢』(改造社、大正12年1月)を加えると、合計5冊ということになる。 (参考)3月5日 - 40過ぎてSFを読むのはきついと思う。SFに限らないが、読むのに適した年齢というものがある。その点大森望氏は仕事とはいえたいしたものである。 「アルジャーノンに花束を」は、すんません、感動しました。といっても、昔の話で、かつ、短編の方だったと思う。 バラードはSFファンの中でも極一部の人にしか受けなかったと記憶している。 松屋でうとsheepsong55氏に

    里見とんの恩地孝四郎装幀本 - 神保町系オタオタ日記