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教育に関するmushimoriのブックマーク (27)

  • メモ。 - ちゃずけのはてなにっき

    以前田由紀さんので「努力するのも習得すべき「技術」ではないか」と読んで、腑に落ちたことがある。 考えてみれば「自由」もまた「学ぶ」ものではないかと最近になってよく思う。 いきなり「君は自由だ」と子どもに言ったとしても、まず子どもは「自由」が何なのかを知らない。 自由は少しづつ世界を広げていくことで学んでいくのであるが、 それは大変厳しいことでもあると、教えるものがいなければなかなかわからないだろう。 この10年近く子どもを通じて今の公立教育とつきあって、その最大の問題点とはこのあたりにあったのではないかと考え始めている。 「型を教える」とは「型にはめる」とは別物だ、 自分自身の「型」を作り出すためには、まず「手」となるべきものが必要ではないか。 私の子供と同世代たちにはその「手」が与えられる機会が少なかった気がする。 教育する側も迷走する中で子どもたちは育ち、どこか混乱したまま大人

    メモ。 - ちゃずけのはてなにっき
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    mushimori
    mushimori 2007/03/07
    なんで小学校に英語必要なんだろ。
  • 苅谷剛彦 - この国の教育にいま、起きていること - 第一回 - 教育バッシングの思わざる効果

    ためし読み 2024/8/20 岸 圭介 そのことばは子どもに正しく伝わっていますか?――ことばの「意味」と「価値」を伝える教育 『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』より「はじめに」を公開!

    苅谷剛彦 - この国の教育にいま、起きていること - 第一回 - 教育バッシングの思わざる効果
  • 改正しても絶対に困らないですね? - 今日行く審議会

    現行の教育法第十条は 第十条 (教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。 ○2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。 となっていて、第十一条は、 第十一条 (補則) この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。 となっている。それが、与党が提出している教育法改正案では、 第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。 2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければな

    改正しても絶対に困らないですね? - 今日行く審議会
  • 「いじめ問題」を解決させたければ、学校の「調整能力」と生徒の「自治能力」を評価に組み込むしかない。 - 想像力はベッドルームと路上から

    最近の「いじめ問題」の報道についての雑記:ekken いじめの質的変化 - Munchener Brucke 「いじめ問題」の一番大きな特徴は、自殺など被害者が具体的行動に出るまで(あるいは出ても尚)、「いじめが存在しない」ことになっている点にあると思う。 これは大きな事実誤認だろう。この世の中に、「いじめが存在しない」集団など一体何処に存在するというのだろうか。自分の身の周りを見渡してみればいい。そこかしこに「いじめ」、あるいはそれを想起される事象が転がっているはずである。 そう。「いじめが無い学校」こそこの世に存在しないのだ。 学校がスムーズに「いじめ」の存在を認める為には、まず「いじめ」というものが特殊な事態なのではなく、どういった集団、どういった人物においても当然の如く起こる問題だという認識の更新をしなけらばならない。その上で、学校側に求める職務を、「いじめを起こさないこと」から、

    「いじめ問題」を解決させたければ、学校の「調整能力」と生徒の「自治能力」を評価に組み込むしかない。 - 想像力はベッドルームと路上から
    mushimori
    mushimori 2006/10/31
    とりあえず内藤朝雄さんのアレよまんとなあ。
  • いじめの質的変化 - Munchener Brucke

    いじめというのは太古の昔から存在する。動物にだっていじめが存在するのだから、人間がまだホモ・サピエンスに進化する前からいじめは存在したのであろう。多くの人が理想化してやまない「昔の日」にもいじめは存在していたのに、なぜ最近になって大きく騒がれるようになったのか。 確かに教師がいじめに加担するという話は最近になってよく聞くし、鹿川君事件以前はあまり聞いたことがない。これについてはいじめの質的変化が指摘される。昔はいじめる側がいわゆるクラスの「ワル」で、むしろバランスの悪い優等生的な生徒*1がいじめられる傾向があった。 最近はどちらかと言うと優等生的な生徒がクラスの問題児をいじめるという形のいじめが増えているという。先生にとっても問題児に苦虫を噛み潰す思いを日々している訳さから、結果的にクラスの中のいじめの形に迎合してしまうことがある。また先生の口から出た問題児に対するホンネが、いじめの構造

    いじめの質的変化 - Munchener Brucke
    mushimori
    mushimori 2006/10/30
    いじめの質的変化と教師を悪者にして済まそうとする態度について
  • 「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業 - Munchener Brucke

    最近は学校教育ばかりに目が行くが、社会教育とりわけ職業教育の分野で今の日は目詰まり状態にある。製造現場や運輸事業などで相次ぐ事故。明らかに日の現場力が落ちているという現実をもはや否定できない。 日式経営というものは、中途半端に教育を受けている人材より純粋無垢な人材を企業カラーに染めることを重視したきた。大企業は製造業の現業員であれば工業高校で最低限の技術教育を受けていればいい、大卒社員でも大学で学んだ内容は余り重視せず、潜在的能力さえあればいいという考えが支配的であった。 しかし90年代以降、新入社員をじっくり育てる大企業が軒並み新卒採用を減らし、非正規雇用に切り替えたり、即戦力確保のための中途採用に踏み切るようになった。一方で新興企業は大企業のリストラにより即戦力の確保が比較的容易であり、企業内での基礎的職業教育のノウハウがなくてもそこそこうまく行っていたのである。 現在どういう問

    「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業 - Munchener Brucke
    mushimori
    mushimori 2006/10/24
    小さな政府にしなきゃいけないと思っていたら実は・・・というのは重要だなあ。
  • また中川による「燃料」供給 「デモ=下品」だから教員免許剥奪?? - ONO-Masa Home Page (はてな出張所)

    中川政調会長:「日教組の一部、免許はく奪だ」と批判 MSN毎日インタラクティブ 2006.10.23http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20061023k0000m010115000c.html 巡回先にしております「世界、障害、ジェンダー、倫理」さんのエントリで知りました。http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20061023/p1 これから出なきゃなんで帰宅後編集します。帰宅したんで少しづつなおしていきます(追記。毎日新聞の今日の3面「闘論」に、中川のもう少し長めの意見がありました。こちらも参照すべきですね。時間があったら、写経します写経の必要ないようです。記事がありました。リンクを最後に貼っておきます)。(1)今回も中川は、超、思い込み先行。 例えば、だ。わたしゃ教組にも何にも属さない、逆言え

    mushimori
    mushimori 2006/10/24
    とにかく日本の政治家のほとんどは基本的なところが決定的におかしい。
  • いじめを認めない沈黙のスクラムとは

    子どもたちの「いじめとの悲劇」が相次いで伝えられている。現実に、いじめを苦にしてサインを残し、亡くなってしまった子どもたちの声を押し殺し「何の問題もなかった」とつくろってきたことが明らかになり、批判を呼んでいる。私の実感から言えば、「氷山の一角」である。あまり伝えられていないが、いじめを理由として生命を絶った子どもたちの親は、二重三重の衝撃を受けてきた人が多い。実は、「いじめはなかった」と繕うのは学校だけではない。多くの場合、同級生の親たちも地域丸ごと「もう済んでしまったことじゃないか。学校の評判が下がるから騒がないでほしい」と有形無形の圧力をかけられる。 いじめた側は、子どもの生命が失われたのに、平然と日常生活を送る。葬儀から何日もおかないうちに別の子をターゲットとしたいじめに入ったり、遊び歩く姿が子どもを失った親からすれば辛い。ひとりひとりクラスメイトの話を聞いて、いじめの輪郭を掴んで

  • 2006-10-11

    コメント欄で、ソエジーこと副島隆彦による安倍政権評を教えてもらったので、以下貼っておく。 http://www.snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=sample1 [386]北朝鮮の地下核実験を受けて、急いで仮りにここに「今日のぼやき798」番用として書いておきます。 投稿者:副島隆彦投稿日:2006/10/10(Tue) 〔略〕しかし、その前に、安倍晋三の日政府を、何とかしなければいけない、ということで、「暴走しそうな安倍たち」の the cult of Yasukuni 「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」の靖国カルト集団 とすでにアメリカの各界から認定されて、厳しく非難されている安倍政権は、次に、アメリカに呼びつけられて厳しく叱られるだろう。 安倍自身は、「政府(内閣の決定)の継続性」を言って、逃げ切れるだろう。すでに、中国(8日)、韓国(9日)に、表面の共同声明

    2006-10-11
    mushimori
    mushimori 2006/10/14
    物語論的自己論のアプローチで考察できそう。あとでなんか書く。
  • やるべきことをしないで何が「美しい国」か - 今日行く審議会

    府立学校教員:異動基準年数短縮 障害児学校生の親ら不安の声 /大阪 府教委が、府立学校教員の異動基準を「現在の学校に在籍7年以上」から「4年以上」に、来年度から短縮するのに対し、盲・聾(ろう)・養護学校に通う児童・生徒の親、教員らから「継続性、専門性の必要性を考えると4年での異動は短すぎる」と不安の声が上がっている。府教委はこうした声も受け、異動にかかわる内規で新たに「(養護学校などの異動には)専門性を考慮する」と盛り込んだが、保護者、教員らは引き続き配慮を求めていくという。 府教委は、異動基準の改訂を「人事の活性化を図るため」と説明。 府立障害児学校教職員組合(府障教)によると、府内の主な市は異動基準を7〜10年としているため、小学校教員は児童より長く在籍し、ある学年の児童たちが入学して卒業する成長過程を見届けることになる。新基準が適用されると、府立の障害児学校小学部の教員は、この過程を

    やるべきことをしないで何が「美しい国」か - 今日行く審議会
  • 学習指導要領の記述云々という問題 - 今日行く審議会

    よく、安倍氏や山谷氏などは、学習指導要領から外れた教育が行われている。大問題だ。なんて言う。 公立、私立を問わず、特に進学校などでは、学習指導要領などで決められている必修教科や単位数をきちんと守っている学校がどれほどあるだろうか。例えば、世界史は必修科目だ。だけど、世界史の授業はほとんど受けてないという学生がいる。明らかに学習指導要領から外れた教育が行われている。 でも、そういうものは安倍氏も山谷氏も問題にしない。学習指導要領の記述を当に厳密に守らせようとするなら、受験のためという理由であっても、学習指導要領の記述通りにカリキュラムは組まれなければならないはず。しかし、そういうのはほとんど問題にされない。なぜか。そういうところには関心がないし、そういうところを批判しても何の利益にもならないからだ。 教育は学習指導要領や法律に書いてあるからやる、書いてないからやらなくて良いというような基準

    学習指導要領の記述云々という問題 - 今日行く審議会
  • 国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例

    以下は、国旗掲揚、国歌斉唱に関する米国の裁判判例及び諸外国の実態です。 情報提供は、藤森修一氏です。 ■アメリカでの判例 1943年 バーネット事件 連邦最高裁判決 「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」(ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人) 1970年 バンクス事件 フロリダ地裁判決 「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」 1977年 マサチューセッツ州最高裁 「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と

  • 子どもの暴力は表象にすぎない - 今日行く審議会

    2006年09月15日(金曜日)付 朝日新聞社説 子どもの暴力 学校だけの問題ではない まず、この社説の最後の部分を引用したい。 小学生の暴力を学校だけの問題に終わらせず、社会を見つめ直すきっかけにしたい。 こう主張しているにも関わらず、この社説では子どもの暴力の問題を2点に集約している。1点目は、家庭の問題。2点目は、社会の変化だ。 暴力に走りがちな子どもについて、二つの共通点が指摘されてきた。一つはストレスや不満をため込んでいることだ。もう一つはストレスの暴発を自制する力が弱いことだ。 どんな不満があるのか。なぜ自制する力が弱いのか。子どもの内面や生活習慣にまで踏み込まなければ、原因を探ることはできない。それには、学校だけでなく、家庭との連携が欠かせない。 親の責任は重い。子どもが不満をため込み、それを抑えきれないというのは、その家庭に問題があると考えざるをえない。親が自分の気持ちをき

    子どもの暴力は表象にすぎない - 今日行く審議会
    mushimori
    mushimori 2006/09/21
    同感です。
  • 塾要らずの公教育は本当に素晴らしいのか - 今日行く審議会

    塾要らずの公教育実現 谷垣氏、政権構想を具体化 子どもが塾に通わなくても済むよう公教育の質を充実させる 谷垣氏に限らず、よくこういうことが言われる。果たして、塾に通わなくて済む公教育当に素晴らしいものなのだろうか。塾に通える子と通えない子との間で格差が生じていると言われている。その格差を解消するためには公教育の質の向上が必要だと言われる。しかし、それはおかしい。 まず、塾と学校は全く同じ役割を担っているものではない。塾に通う目的は人それぞれだが、大まかに言って二つある。一つ目は受験の準備をすること。二つ目は学校の授業だけでは理解が十分ではないので、そこを補うこと。そういうものは、公教育の質が高ければ必要がないのか。それは違う。受験の準備にしても、理解できないところを補うにしても、「公立の学校とは異なる」からできることだ。公教育には様々な制約がある。そういう制約は塾にはない。その点だけで

    塾要らずの公教育は本当に素晴らしいのか - 今日行く審議会
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    mushimori 2006/08/28
    公教育と塾は競合しない
  • 教育格差と教育の公共性 - 今日行く審議会

    デイヴィッド・F・ラバリーは、「脱出不能‐公共財としての公教育」の中で次のように述べている。 教育における公益は、個々の消費者の私益の総体には還元できない。というのは、私益を追求する個人を全部集めても、誰も他人の子どもの教育を省みようとすることにはならないからである。学校システムが個々の消費者に私的財を提供するという圧力に晒されているなら、すなわち、よい仕事や社会的地位や快適な生活といった私的財の獲得競争において有利な立場に立つ機会を提供するといった圧力に晒されているなら、そのときは、教育の広範な公的便益が浸されることになろう。こうした消費者優先の学校システムは、教育経験を著しく階層化し、力のある消費者に対して、システムからの利益を勝ち取る機会を拡大することになるであろう。それは、教育システムを、勝者と敗者を作り出す選別・選抜メカニズムとしての性質の強いものにしていく。しかも、この場合、

    教育格差と教育の公共性 - 今日行く審議会
  • 教師への暴言。 - ちゃずけのはてなにっき

    教師への暴言と言えば小学校時代の先生を思い出す。シベリア帰りの社会科の教頭先生で よく戦争に行った時の話しを聞かせてくれた。シベリアではウンチをしたら出たところから凍っていった、とか どれくらい戦地でひもじい思いをしたか、とか小学校中学年だった私はわくわくして聞いていたものだ。 戦争に行ったのは二十歳の頃でしょっちゅう腹がすいていて、配給でキャラメルをひと箱もらって 大事においてあったら人にとられて、それも同じ部隊の「戦友」である事は間違いなくてものすごく 悔しい思いをした、と、シベリア抑留を経て帰って来て、凄まじい飢えを経験したせいかいくらべても 満腹する事がない、またちっとも太らないと言う、当に鶴のように痩身の先生の話は何よりも リアリティーがあった。先生はあまりシベリア時代の事は話さなくてただ軍で日常生活がどれほど不快だったか、 と言う事をよく話してくれた、いつでも「当に戦争

    教師への暴言。 - ちゃずけのはてなにっき
  • 「眉毛をそってるから」負け 鹿児島の中学総体 - kmizusawaの日記

    ■「眉毛をそってるから」負け 鹿児島の中学総体 http://www.asahi.com/sports/update/0729/092.html 鹿児島県中学校総合体育大会バドミントン競技女子団体戦の準々決勝で、眉毛をそっていたことを理由に、試合に勝った生徒を負けたことにしていたことが28日、わかった。その結果、団体戦の勝敗も覆ったという。教育関係者からは「スポーツと生活指導を一緒にしている」と疑問の声があがっている。 同県中学校体育連盟によると、25日に開かれた大会の女子団体戦準々決勝で、鹿児島市内の伊敷台中と伊敷中が対戦した。 団体戦はダブルス、シングルス、ダブルスの計3回対戦し、先に2勝した方が勝ち進む。伊敷中が2―0で勝ったが、試合後、伊敷台中の選手が「眉毛をそっている生徒がいる」と県中体連側に訴えたという。 県中体連は大会前に、髪を染めたり、眉をそったりするなど「周りに不快

    mushimori
    mushimori 2006/07/31
    いやな出来事。
  • (元)登校拒否系 - 反自由党は卒業式での日の丸・君が代の強制を断固支持する(前篇)

    卒業式への日の丸・君が代の導入について、朝日新聞が「国旗・国歌 ここまでやらずとも」という社説を出しています。東京の公立学校で教員への処分が続いていることを指摘した上で、朝日新聞は次のように言います。 私たちは社説で、処分してまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し指摘してきた。 http://www.asahi.com/paper/editorial20060315.html#syasetu2 2ちゃんねるなどでは、朝日新聞はサヨク思想で人々を洗脳する陰謀機関ということになっていますが、少なくとも社説の内容を決める立場にあるような主流派のポジションは、このように極めて穏健なものです。上の文から、朝日新聞は日の丸・君が代を国旗・国歌と認めていることがわかります。また、「処分してまで…強制するのは行き過ぎだ」ということは、逆に言えばよりソフトな形での日の丸・君が代の公教育での使用に

    (元)登校拒否系 - 反自由党は卒業式での日の丸・君が代の強制を断固支持する(前篇)
  • 「自然」なことを「教育」するとは - kmizusawaの日記

    ■「自然」なことを「教育」するとは 「愛国心」やそれに準ずるようなことを教育関係の法律や条例に書き込むことについて、推進する側はしばしば「愛国心は自然な感情だ」と言い、反対する側は私も含めて「自然なことならわざわざ「教育」する必要はないではないか」と揚げ足をとるわけだが、それはもしかしたら見当外れの批判ではないか、とふと考えた。 ほらよく言うじゃないですか、「自分から進んでお手伝いのできる子になろう」とか「言われなくてもやれるようになろう」とか。 「愛国心」は自然に湧き出てくるものだと言う推進派の頭の中では「愛国心は来自然な感情だがそれが阻害されていたり上手く発揮できなかったりすることがあるので「教育」して「自然に」発揮できるようにすることが大切だ」というようなことになっているのではないか。「教育」の結果、あとは何を言われなくても「自分から」「自然に」国への愛情を態度で表明できるようにな

    mushimori
    mushimori 2006/07/04
    そうか、そうなんだなあ、きっと。