長いこと放置してしまった。 2ヶ月も更新しなかった。 調べてみると、この期間も1日10件前後のアクセスがあったようだ。 書いている自分でさえ見ることもなく放っておいたのに、時折訪問してくれる人がいたというのは嬉しいものだ。 だが、彼らは直接面識のない人、ということを考えると、気にしてもらっているのは自分という存在ではなく、あくまでこのブログということになる。 素直に喜んでいいのか…? 大いに喜ぼうと思う。ブログだって自分だ。自分の一部がブログだ。 いや、拡大した自分がブログなのか。 書きためられた記事を振り返るとき、それは確かに自分が創出したものなのだけれど、逆にその中に自分が存在しているような感覚を覚える。記憶は自分の一部だけれど、記憶の中に自分が存在している……そんな感覚と等しいだろうか。 さて、この期間なぜ書かなかったか? 仕事が忙しい。 それもある。 だが、それは真の理由ではない。