「浄土三部経」の一つ『大無量寿経』にあります。 富有なれど慳惜(けんじゃく)し、肯(あく)えて施与(せよ)せず。宝を愛して貪ること重く、心労し身苦しむ。是の如くして竟りに至れば、恃怙(じこ)とする所無し。独り来たり独り去りて、一も随う者無し。 慳惜とは、ものおしみする心。恃怙とは、頼む事です。 大金持ちだけれどもの惜しみが強く、あえて他の人に施与せず、財宝を愛して貪る心が強いと、かえって自分自身で心労が重なり苦しむものです。このようにして一生を過ごせば、死に臨んでも頼りにするものは何一つありません。独り来たり独り去りて、一も随う者無し。 所詮、私達は独りで生まれ、独りで老い、独りで病み、独りで死んでいかねばなりません。名誉も、財宝も、妻子眷族(けんぞく)も一緒に行く事が出来ないのです。 「菩提和讃」を思い出します。 老若貴賤も諸共に 無常の風に誘わるる 臨命(りんみょう)終(じゅう)の果敢