芸術理論や言語に基づいて作品が作られるのではなく、もともとそこに存在する、または生まれてしまったヤクいものに対して言語化していく作業が“芸術”なんじゃないかなあ、って思う。 “異質”で“理解不能”なものに名前と言葉と意味を与えて“理解可能”に収蔵していく行為。 たとえば、浮世絵なんかは当時の日本では消耗品、今の漫画とか(既に漫画はある程度の評価を得ているけれども)エロ本とか、そういうのと同じような庶民の低俗な娯楽だった。それが海外の“芸術”の文脈で再評価されて、芸術として認められるようになった。 アンディウォーホールは量産品であるキャンベルのスープの缶に“意味”を見出して、“芸術”に昇華させた。 芸術は科学 そして、理解して分解したものを、芸術の文脈に基づいて再構築することもまた、“芸術”だ。 なにか、すごいことが起こっている、自然であり、誰かが天啓を受けて作ってしまったものであったり、隔
![芸術について(私感):芸術は科学である。 - orangestarの雑記](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/5e51e32ae5603160a7587a9eeb67721ffa048fcf/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51A8dX2kNvL.jpg)