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ブックマーク / hajimete-sangokushi.com (1)

  • 【山月記】の中島敦は中国古典に違和感を持つフランス文学の人だった【李陵】

    隴西(ろうせい)の李徴(りちょう)は博学才穎(はくがくさいえい)、天宝(てんぽう)の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補(ほ)せられたが、 性(せい)、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)む所(ところ)頗(すこぶる)る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。 こんな書き出しの『山月記』。 国語の教科書に載っていて読んだという方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。 中島敦(なかじまあつし)のこういう文体から、中島敦は幼少期から漢文学に親しんでいたという作家評がなされるのをよく見るのですが、 私は中島敦は中国古典に対して違和感を持っていたと思います。 小さい頃から漢文を読んでいたって、それに親しむとは限りません。 関連記事:資論には何が書いてあるの?【前編】 関連記事:楊貴妃と玄宗が愛を育んだ温泉地華清池によかミカンが行ってみた 監修者 kawau

    【山月記】の中島敦は中国古典に違和感を持つフランス文学の人だった【李陵】
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