思想に関するmy7711のブックマーク (27)

  • WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト

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  • 多数派であることのリスクについて - 内田樹の研究室

    神戸新聞に隔週で「随想」というコラムを書いている(これが二回目)。神戸新聞を読んでいない方のために再録しておく。 これは先週書いたもの。 橋下大阪府知事は、持論である大阪都構想に賛成の市職員を抜擢し、反対する市職員を降格するためのリスト作りを維新の会所属の大阪市議に指示した。 首長選の候補者が選挙に先立って公約への賛否を自治体職員の「踏み絵」にするというのは異例の事態である。 公務員が遵守義務を負うのは、憲法と法律・条例と就業規則だけのはずである。「大阪都」構想は、その当否は措いて、今のところ一政治家の私念に過ぎない。それへ賛否が公務員の将来的な考課事由になるということは法理的にありえまい。 まだ市長になっていない人物が市職員に要求している以上、これは彼に対する「私的な忠誠」と言う他ない。彼はそれを「処罰されるリスクへの恐怖」によって手に入れようとしている。 私はこの手法に反対である。 脅

  • 三歩進んで二歩下がるのが漸進的発展(宇野常寛「ゼロ年代の想像力」Part.2) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee教授「まず、宇野常寛氏が東浩紀のどこを批判してるの確認しよう。その辺は主に「ゼロ年代の想像力」第二章「データベースの生む排除型社会」でまとめられているのだが、宇野氏はその冒頭で90年代的な古い想像力がどのようにして現代の想像力へ移行していったか、端的に述べている。 90年代の「古い想像力」-世界の不透明さ、無秩序に怯え内面に引きこもり「~である」こと=自己像の承認を求める「引きこもり・心理主義」の碇シンジから、ゼロ年代の「現代の想像力」-世界の不透明さ・無秩序を前提として受け止めた上でその再構築を目指して立ち上がる「~すること」=自らの選択した価値観の正当化を目的にゲームを戦う「開き直り・決断主義」の夜神月(やがみらいと、「DEATH NOTE」の主人公)へー2001年を境界線として世界とその想像力は大きく変化した。しかし、この変化に現在の批評はまったく追いついていない。それは

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  • エクリチュールについて - 内田樹の研究室

    クリエイティブ・ライティングは考えてみると、私が大学の講壇で語る最後の講義科目である。 80人ほどが、私語もなく、しんと聴いてくれている。 書くとはどういうことか。語るとはどういうことか。総じて、他者と言葉をかわすというのは、どういうことかという根源的な問題を考察する。 授業というよりは、私ひとりがその場であれこれと思いつくまま語っていることを、学生たちが聴いているという感じである。 「落語が始まる前の、柳家小三治の長マクラ」が90分続く感じ・・・と言えば、お分かりになるだろうか。 昨日のクリエイティヴ・ライティングは「エクリチュール」について論じた。 ご存じのように、エクリチュールというのはロラン・バルトが提出した概念である。 バルトは人間の言語活動を三つの層にわけて考察した。 第一の層がラング(langue) これは国語あるいは母語のことである。 私たちはある言語集団の中に生まれおち、

  • 文化系トークラジオ Life: 2009/05/24「現代の現代思想」(東浩紀ほか) アーカイブ

    次回「現代の現代思想」の放送は 5月24日(日)深夜25:30~ ゲストは東浩紀さん 今回もウェブ中継を実施しますので、ネット環境があればリアルタイムで聴けます ◆予告編・新メインパーソナリティの斎藤哲也さんです!? ※再生できない場合は、個別ページかTBSラジオクラウドにてお聞きください。 ※最新エピソードはユーザー登録なしでお聴きいただけます。 charlieです。 思想という言葉に、みなさんはどういう印象を持つでしょうか。 僕の経験で言うと、頭のいい大学に通っていたわけでもなく、 80年代のポストモダン思想の流行の残り香すらなかった90年代後半の 大学生にとっては、教室でのお勉強より、ストリートのリアル(笑)の方がはるかに 重要で、思想なんて何の役にも立たない教養人の趣味、くらいの感覚でした。 僕を含め、同世代でものを書いている人でも、思想というより、 何らかの「現場感覚・当事者感覚

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  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

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    my7711
    my7711 2011/07/20
    やっぱわからない
  • ウエーバー

    『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』の最終部ですね。 有名な一節で、単独で引用されることも多い部分です。 まず、「末人」というのはニーチェの概念です。 「超人」の反対が「末人」です。 大勢で群れ、矮小で、誰もが同じものを欲し、身を寄せ合ってぬくもりを欲し、考え方が違う者は自ら精神病院へ向かう人々です。 彼らは働くことは慰みになるから働くけれど、慰みが身を損ねることのないように気をつけ、面倒なので、貧しくなることも富むこともない。 山から下りて、ツァラトゥストラはこの末人(最後の人々)と会いました。 ウェーバーは、禁欲的なプロテスタンティズムの果てに出現した人間を、ニーチェの「末人」という言葉で表します。 末人=精神のない専門人、心情のない享楽人であると。 この「精神」というのは、資主義の精神のことです。 近代資主義を推進した原動力、「エートス」のことです。 「『資主義』は中

    ウエーバー
    my7711
    my7711 2011/07/19
    「精神のない専門人、心情のない享楽人。」
  • 海外サイトの反応は…国連が「インターネットの遮断は人権侵害」と宣言 : らばQ

    海外サイトの反応は…国連が「インターネットの遮断は人権侵害」と宣言 今や、情報はインターネットを通じて誰でも簡単に収集することが出来、大きな恩恵を受けています。 国連が「インターネットのアクセスを故意に切断してしまうことは、人権の侵害である」と宣言したことを受け、海外サイトで盛り上がりを見せていました。 今年は上半期を終えたばかりですが、世界中をにぎわすニュースが多く、すでに激動の年となっています。 エジプトやシリアの暴動では、政府はインターネットのアクセスを完全に遮断することで交流をはかれなくし、国民をコントロールをしようとしました。しかしながらこれを知った周辺諸国を中心に、ひどく残酷な行為であると非難の声が上がったのです。 (参照:反政府デモのエジプトで完全にインターネットが遮断、海外の反応は) もはやインターネットにアクセスすることが、世界中の人々にとって重要な位置を占め、水や電気と

    海外サイトの反応は…国連が「インターネットの遮断は人権侵害」と宣言 : らばQ
  • 2006-11-07

    『日常・共同体・アイロニー 自己決定の質と限界』 p.45-6 傍注より アンソニー・ギデンズは「諸個人がみずからの行為に関する情報を、その行為の根拠について検討・評価し直すための材料として活用すること」を「再帰性」と呼び、これの諸個人への浸透を近代社会の特徴とする。 たとえば、「再帰性」が浸透するにつれて、各地の伝統は「これまで伝承されてきたから」という理由だけではその継承が是認されなくなり、ある伝統が尊重される場合でも「なぜその伝統を守るのか」とその根拠がつねに問題視されるようになる。 「みずからの行為に関する情報を、その行為の根拠を検証し直す材料にすること」。 それがループ化すると、「自分はこれでいいんだろうか」という循環的な問い詰めが強迫化し、収拾がつかなくなる。 「自分の状態についての問題意識が高まれば高まるほど、勉強して病理に詳しくなればなるほど状態が悪くなってゆく。 フロイ

    2006-11-07
  • “天才”チョムスキーがえぐるマスメディアの本質:土井敏邦 Webコラム

    2007年1月30日(火) ずば抜けた知性と思想をもった、いわゆる“天才”とはこういう人のことをいうのだろう。ドキュメンタリー映画「チョムスキーとメディア」を観ながら、改めてそう思った。「改めて」というのは、1980年代後半、私がアメリカ国内でユダヤ人、パレスチナ人の取材をしていたころ、直接、ノーム・チョムスキーの講演を聞いたこともあり、また彼の発言や主張も活字や映像の部分的には見聞きし、いくかは知っていたから、何も真新しい出会いというわけではなかったからだ。しかし、25年間、120時間の素材の中から選び抜かれた映像を通して、これほど体系的にチョムスキーの思想と知性に触れると、やはり“天才”なのだとつくづく実感する。 若くして言語学の分野で革命的な業績をうち立て、“言語学界のアインシュタイン”とまで形容されるチョムスキー。しかし私が関心を抱くのは、そういう研究分野での彼ではなく、世界の社会

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ソウルで平壌式冷麺をべ、北朝鮮を見にイムジン河へ行く 7月のソウルは天気が悪い。東京と同様である。ただ、ソウルは、東京に比べるとかなり涼しい。クーラーが無くても生きていけるレベルの気温である。 ソウルには過去何回か来ていて、幾度か、北朝鮮との国境を見てみたいなと思ったのだけど、国境は、近いと言えば近いけ…

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  • 『チョムスキーとメディア』の自己言及的な疑似プロパガンダ・パフォーマンス - 土曜日が待ち遠しい!

    1週間ぐらい前から体調が悪くヴァーティゴ気味で、身体的・精神的活動レベルが大幅に低下してセーフモードがしばらく続いたため、難しい文章読んだりレポート書いたりするのにも難儀していたのだけど(読み取り専用状態だったのでちゃんとした日語を書くのさえ大変だったのに、英語の作文の宿題まであって、ほんとにもう)、ようやく回復してきたかと思ったら、既にひな祭りも終わってしまい、確定申告の締め切りが近づいております。 さて。 少し前から『マニュファクチャリング・コンセント』(「合意の捏造」)と題されたノーム・チョムスキーの上下巻の屋で平積みになっている。マスメディアのプロパガンダ・モデルについて論じたこの著作は、最初に理論的な総論を述べた後、具体的な報道事例について検証するという構成になっており、一瞬買おうかと思ったものの、総論の部分を読んで、10年ぐらい前から継続的に考えていたこととほぼ同じ

  • 無文字社会に生きる人びとに目を向けると、文字通り、リテラシー=読み書き能力が人間の思考や社会生活を変えるのだということに気づかされる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日、昼べながら、ふと思いました。 話し言葉社会に生きるロシア人スパイは、果たしてクックパッドを使うことができるのだろうか?と。 昨夜「話しことば社会への回帰だろうか?」という記事で話し言葉社会に生きるロジア人スパイは頭の中で考えることと身体を通じて外部化する行動が分離していないがゆえに、裁判で「現実に行なったスパイ行為のためというよりは、頭のなかでたんに意図したという廉で自分の罪状を全面的に認めた」という話を紹介しました。 昼べながら気付いたのは、ロシア人スパイが思考と行動が分離していないのならクックパッドは使えないはずだということです。だって、事をすることを考えることは彼らにとって実際に事をするのと変わりません。であれば、きっと情報を検索しているだけでお

  • メディアはメッセージである: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 マーシャル・マクルーハンのあまりに有名すぎる格言、「メディアはメッセージである」。 これほど有名ではあるが、その意味はほとんど理解されていないか、誤解されているの言葉というのも珍しいのではないだろうか。 マクルーハン自身は、著書『メディア論―人間の拡張の諸相』のペーパーバック版の序文にこう書いている。 「メディアはメッセージである」というのは、電子工学の時代を考えると、完全に新しい環境が生み出されたということを意味している。この新しい環境の「内容」は工業の時代の古い機械化された環境である。新しい環境は古い環境を根的に加工しなおす。それはテレビ映画を根的に加工しなおしているのと同じだ。なぜなら、テレビの「内容」は映画だからだ。 映画に対して新しいメディアとして登場したテ

  • センター入試とバカロレアに見る日仏の違い|フランスの日々

    今、フランスでは学生にとって大一番の勝負となる試験、バカロレアの試験が開催されています。この試験が日とだいぶ違っていて、面白いです。この違いが両国の国民性の違いを説明するのにも参考になるために、エントリとしてまとめておきます。一般的に、日人は機能性・効率性を重視し、短期の結果を最適化します。その効用の長期にわたった影響を考察するというような、現時点においては何の効用を生まない概念的な命題に重きを置かない傾向があります。フランス人は、現時点においては何の効用を生まない議論をすることを好み、現在、直面する問題が放置されることもあるように思います。 教育が国民性にどの程度の影響を与えているのかは分かりません。また、教育と特性のどちらが原因でどちらが結果なのかもはっきり分かりません。つまり最初に国民性があり、その国の教育の特性が生まれたのか、教育の特性が国民性に影響を与えているのか、分かりませ

    センター入試とバカロレアに見る日仏の違い|フランスの日々
  • 論文書きに役立つ記事のまとめ(逆引きインデクス)をつくってみた

    Author:くるぶし(読書猿) twitter:@kurubushi_rm カテゴリ別記事一覧 新しいが出ました。 読書猿『独学大全』ダイヤモンド社 2020/9/29書籍版刊行、電子書籍10/21配信。 ISBN-13 : 978-4478108536 2021/06/02 11刷決定 累計200,000部(紙+電子) 2022/10/26 14刷決定 累計260,000部(紙+電子) 紀伊國屋じんぶん大賞2021 第3位 アンダー29.5人文書大賞2021 新刊部門 第1位 第2の著作です。 2017/11/20刊行、4刷まで来ました。 読書猿 (著) 『問題解決大全』 ISBN:978-4894517806 2017/12/18 電書出ました。 Kindle版・楽天Kobo版・iBooks版 韓国語版 『문제해결 대전』、繁体字版『線性VS環狀思考』も出ています。 こちらは10刷

    論文書きに役立つ記事のまとめ(逆引きインデクス)をつくってみた
  • Rindoku Wiki

    このプロジェクトについて 輪読レジュメWikiプロジェクトは、輪読(→Help:輪読って何?)で用いたレジュメを共有しリユース(使い回し)することで、を楽に読もうというプロジェクトです。 今あるレジュメを利用して、 の概要や全体像を手早く知ったり 難解な箇所を理解するのに役立てたり できるかもしれません。 このプロジェクトは始まったばかりです。 現在、63冊の書籍について、レジュメが集められているところです(→ブックリスト)。 読書会や輪読会をやっている人や、やったことがある人が、その時につくったレジュメを提供してくれたり、 レジュメの書き手や、外部のレジュメの在り処を知っている人、すでにレジュメを公開している人たちが参加してくれると、 このプロジェクトおもしろいものになるだろうと思っています。 このプロジェクト主催の輪読会などもできたらいいですね。 プロジェクトの詳細は、Proje

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  • 一人で読めて大抵のことは載っている教科書(追記あり) 読書猿Classic: between / beyond readers

    Author:くるぶし(読書猿) twitter:@kurubushi_rm カテゴリ別記事一覧 新しいが出ました。 読書猿『独学大全』ダイヤモンド社 2020/9/29書籍版刊行、電子書籍10/21配信。 ISBN-13 : 978-4478108536 2021/06/02 11刷決定 累計200,000部(紙+電子) 2022/10/26 14刷決定 累計260,000部(紙+電子) 紀伊國屋じんぶん大賞2021 第3位 アンダー29.5人文書大賞2021 新刊部門 第1位 第2の著作です。 2017/11/20刊行、4刷まで来ました。 読書猿 (著) 『問題解決大全』 ISBN:978-4894517806 2017/12/18 電書出ました。 Kindle版・楽天Kobo版・iBooks版 韓国語版 『문제해결 대전』、繁体字版『線性VS環狀思考』も出ています。 こちらは10刷

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  • 人文的な、あまりに人文的な(笑)

    http://anond.hatelabo.jp/20080313030006 読んでいると恥ずかしいゴミ (改題前 10代で読んでいないと恥ずかしい必読書) 「現代思想の遭難者」らしい、典型的な人文系アタマの悪いリストになっているので(そこが「つり」なのか)、ちょっといじってみる。 こういうリストに束ねられたを指して「人文書」とか、言うのだろう。 「人文書」のダメなところは、改訂がないこと。 時代ごとに流行廃りがあって、差し替えはあっても、蓄積がない、進歩がない。 だから、情報の量質ともに(さらに読みやすさの点でも)ふつうの教科書に軽く負けてしまう。 教科書は、読者に受け入れられれば改訂があるし、メジャーな分野なら競争もある。さらには練習問題までついている。 でも、人は学校も教科書も嫌いだから、人文書を読むんだもんな。動機付けとして「つくる会」みたいだ 。 プラトン『国家』 →「国家

    人文的な、あまりに人文的な(笑)
  • 哲学的な何か、あと科学とか

    飲茶な日々 (3日に1度は更新予定の哲学日記) 2008年10月11日 僕の中二病告白 中二病という言葉があるそうです。 ―――――――――――――――――――――― 中二病(ちゅうにびょう)とは日の俗語、スラング。 思春期にありがちな微妙にズレた自意識過剰、 それから転じて起こる数々の「中学二年生くらいの頃に ありがちな言動」を「症状」として比喩したもの。 子供が大人になろうとして、 「大人が好みそうな(と子供が考える)格好いいもの」に興味を持ち、 子供に好かれるようなもの、幼少の頃に好きだった幼稚なものを 否定したりなどする。「もう子供じゃない」「(汚い)大人になりたくない」 という自己矛盾が、実際の大人から見ると非常に「ズレて」おり、 滑稽に見えることが大きな特徴である。 さらに、生死や宇宙について思い悩んでみたり、 政治や社会の汚さを批判してみたり

    哲学的な何か、あと科学とか