ところで真面目にコメントしますが、人類という種の健康のためなら医学が人間の権利を集団的に(集団的に、がポイントです)制限するのもやむをえないのだという西浦氏のような発想は、原理的に優生思想と変わりません。リベラルは批判し抵抗すべきです。
ところで真面目にコメントしますが、人類という種の健康のためなら医学が人間の権利を集団的に(集団的に、がポイントです)制限するのもやむをえないのだという西浦氏のような発想は、原理的に優生思想と変わりません。リベラルは批判し抵抗すべきです。
「彼らには世界の複雑さへの恐れがない。彼らは「とにかく面白ければいい」ならぬ「とにかく正しければいい」という病にかかっている。このように指摘するのはポリコレ疲れでも冷笑でもありません。リアリズムです。」
略奪は悪くない、暴力はやむをえないという主張がリベラルから堂々と出始めていることは、とても危険なことに感じる。 https://t.co/cVcYQsmYSG
「命より大事なものがある」というのは危険なイデオロギーなんでやばいというのが20世紀の哲学の基本的な論調だったんだけど、21世紀の哲学は「命より大事なものはない」というイデオロギーも同じくらいヤバイぞというのを言語化してかないといけないんじゃないかな。最近そんなことを考えてます。
今回の補助金不交付は今後すごい抑止効果をもつので本当にマジで撤回させたほうがいいんだけど、たぶん無理だろう。というのも、表現の不自由展そのものに国民的支持が集まっていないから。官邸はその空気は正確に読んでる。裏返せば、権力に喧嘩売るなら、もう少し国民の支持集めとけってことだな・・
またどうせ批判されるのだろうと思いながら呟くが、いま世界的に起きている市民運動の若年齢化は、運動の広がりだけでなく、運動の「ショー化」もまた意味していると思う。指導者が若ければ若いほどメディアは喜ぶしSNSも活気付く。しかしそれだけでもある。
ところで先日のぼくのツイート(内閣改造で支持率がどうこう)が700RTぐらいになっていていろいろリプライきてるんだけど、それ見ると、リベラルや左翼が求める批判なるものがもはや精神論でしかないことがよくわかる。国民が支持してるかどうかは関係なく、とにかく批判が大事ということらしい。
それにしても、あらゆる表現の自由は守られるべきであるという近代的な公理をヘイト側がハッキングした結果、リベラル側が、表現はやっぱり内容によって正邪を審査されるべきだよねというおそろしく素朴な主張へ後退を余儀なくされているのがいまの状況なわけだけど、これどう考えても未来ないよね。
だれがどうみたって、ここ数年の野党は「全否定のレッテル貼り」ばっかりやってきたよ。「そうでない議員もいるんです!」とかいうリベラルの声は知ってるけど、とりあえずそういう活動が目立っていたのは事実だよ。それを棚上げするのは無理だろうよ・・・
石原知事は確かに失言暴言が多く、尖閣諸島購入のようによくわからん政策もあったが、他方、震災瓦礫をいち早く受け入れたり発電所を自前で作ったり支持できる政策も多かった。文化行政にも積極的だった。そのよいところを継続するとしたら、副知事の猪瀬直樹氏が適任ではないかと思う。
唐突に書きたくなったが、放射能基準無視してのがれき受け入れ反対は脱原発論への信頼を下げるものでしかないのでマジ止めて欲しい。被災地のがれきを広域で処理するのは当然だ。それも出来ないなら、日本という国の一体性はない。
ぼくはシステム改革者としての橋下徹は全面的に支持しますが、ナショナリストでマッチョな橋下徹はまったく支持しません。両者は区別できないだろうという批判もあるかもしれませんが、原理的には区別できるはずで、リベラルの側からシステム改革者がいないのが最大の問題だと思うのです。
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