かつて私は社畜だった。そして、死にたかった。 でもこの言葉を何度も頭で唱えては、生にしがみついていた。 元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。 平塚らいてうが1911年、「青鞜」創刊時に寄せた文章だ。 「パステルカラーの服を着た方がいいんじゃない?」私は男性に負けないくらい働きたいと社会に出たものの、22〜24歳の間、ずっと自殺を考えていた。以前「『これだからゆとりは』で死ぬ場合もある」というnoteに書いたが、適応障害になったのだ。 原因の1つは長時間労働だろう。仕事の量も多かったが、誰よりも努力すれば結果が返ってくるものだと勘違いしていた。加えて、自分を犠牲にして働くことでしか、存在意義を見出せなかった。 拍車をかけたのが、ジェンダーのコンプレックス。「女だから実力が正当に評価されない」