何が問題って性欲が満たされないから問題なんじゃあないでしょう。 風俗の料金が安くなり続けても客は減り続け、「非モテ」は増えていた。 秋葉原でたくさんPKした加藤が「彼女が出来ないこと」の絶望を日記に書き連ねてた件について ある女性識者が「風俗を割引したらどうだ」と言ってて、面白い女性だとは思うが的は外れている。 加藤の日記だってよく読めば不安定な生活に職場での疎外、友達の不在、絶望の種は具体的にたくさんあって、 彼女云々の話のときだけがむしろ抽象的・空想的な筆致で書かれていた。 今日の問題の構造はもう明らかだ。 「恋人、セックス相手としての異性との物語だけが我が物顔をしすぎていること」。 そうなった理由は バブル期軽佻浮薄文化にどっぷりだった元若者が引きずり続けてる、でもあるし デート文化で金使ってもらおうと企んだ企業やマスコミの陰謀だー、でもあるし 恋愛白熱が自分達の価値高騰に繋がると睨
「ああ、それはそうですよ。男の子のほうがぼけっとしている。だって自前でお金を叩き出せるようになるのが20台前半で、もっといけば30台でもまだ片足親元でしょう。お金を叩くための技術が高度化していて、12才で学ぶ技術から何段も積み重ねてやっと、お金に触れるだけの技術になる。その間は『これって俺が実際に使うことになる技術なのかなあ』と疑いながらスキルツリーを伸ばしてる段階だ。自分の技術が幾らなのか、責任能力が不定な、客体的でぼけっとなる期間で、これが長い。市場と会同した時点で、そこの需要がどうなっているか、そこで技術に値段がついて、やっと他人に切れる手札を持つことになります。」 「女の子のほうが大人だよね」 「女の子は大変ですよ。女の子はけっこう大変ですよ。女の子のほうが独自の大変さがある。あれは手札が良くなってしまうピークが早い段階で来るから。だってさ技術でお金を叩き出せるようになる学習曲線の
男の子と女の子とドイツゲーム大賞 体育座りの巨大な女の子 の続き。 「基本的には、ファットキャットの悩みである、というところを押さえておきましょう。飢え凍え病む痩せ猫たちの話ではありません。そのうえで、」 「まず、谷川流先生の言っていないことから始めましょうか。」 「まず、このファットキャットたちの界隈では、お金を叩く技術が高度化しており、男の子にしろ女の子にしろ、12才で学ぶ技術から何段も積み重ねて、十数年ほども経ってやっとで、お金に触れるだけの技術になります。」 「しかし女の子の方は、そこで数年から十年弱、かなり強力な手札を持たされる時期があります。技術でお金を叩けるようになる学習曲線のはるか手前で、手札がとても良くなるわけです。」 「いっぽうそこでその脇の男の子を見ますと、男の子は、比較的手札の振幅が小さいため、技術の学習曲線を進むまで、札をさばくことを考える必要が低い。」 「ですの
フェミニズムというのに関心を失って久しい。単に関心がなくなったというか、フェミニズムと限らず「現代思想」もそうなんだろうし、他歴史問題という問題もそうなのかもしれないけど、議論のフレームワークがよくわからなくなっている。奇妙な印象を受けるのはそれでもそのフレームワークは「知」的に構成されていて、それなりに外国の議論などが前提になっているっぽいし、それなりに学際的な学術領域においてフレームワークはあるのかもしれないのだけど(翻訳文化という印象はあるけど)、けど、というのは、普通に欧米圏のインテリの日常というか世相の議論を見ていると、出てこない、そして欧米圏のインテリってけっこう洒落もあるけどマジな人が多いという印象はある(とくに同性愛問題)。なのでそうしたレベルを見ていると、まあ、現下の世界認識において、日本のそうした知のフレームワークはそれほど重要でもないのかなという印象はある。 で、と。
「三十路独女が集まって『いい男がいない』とため息」みたいな記事がよく炎上するが、そこでよく「大したこと無い女のくせに男を高望み」「釣り合う男で我慢しろ」的な男性の主張を目にする。 また、女性の口にする希望年収が同世代の独身男性の上位数%である、というような観点の「高望み批判」が繰り返し行なわれている。 ではなぜ、彼女たちが自分に釣り合うと思っている男性像は、男性から見ると高望みに見えるのだろうか。 ここではこれを説明するために、複数の男女が存在する場での「釣り合い」「お似合い」の評価を ・男性は順位的なものに基づいて ・女性は得点的なものに基づいて 行なっているという仮説を提唱したい。 このモデルでは、男性は、男女が10人いたら(好み等はあれ、漠然と)男女とも1位から10位に順位ができ、1位同士、5位同士、10位同士がそれぞれ釣り合う、というように考える。 一方、女性は、男女が10人いたら
あるコミュニティに恋愛経験のない男A・B・C、女a・b・cの6人の男女がいた。「恋愛は男からアプローチすべし」という文化のコミュニティだったので、 ・男Aは3人に告白して、b・cに振られaと付き合うことができた。 ・男Bは3人に告白して、c・aに振られbと付き合うことができた。 ・男Cは3人に告白して、a・bに振られcと付き合うことができた。 残念ながら3組とも同時期に別れてしまった。この時点で、6人とも過去に付き合った人数は1人。男女とも異性から承認された経験に違いは無いように思われる。 しかし、男3人には 「かつて1人の女に付き合いたいと思われ、2人の女に付き合いたいと思われなかった」 という記憶が残ったのに対し、女3人には 「かつて3人の男に付き合いたいと思われた」 という記憶が残った。 このとき、告白と承諾を「異性に自分と付き合いたいと思われる」という形で等価に評価すると、男性の評
無論人数合わせ要員で 一言で言うと凄かった 本当にドラマみたいなことみんなやってんすね ビビったわマジで… 凄いノリに全然ついてけなかった 男性から話しかけられてもなんか丁寧語になっちゃうわ、いかにも愛想笑いだわで全然もりあがんねー ていうか、まだ皆酒飲んでないのに酒飲んだようなテンションになってるのは何故? 「○○ちゃんだっけ?可愛いね!どこらへんに住んでるの?」 ってえっいきなり個人情報取得?みたいな 「北の方です」 とか言っちゃうし自分 「えっ北?北ってどっちだっけ?右?」 右!? そしたら他の男がやってきて 「バカだなお前ーw南の反対だよ」 そりゃそうだけど!!しかもその男それで分かったのか「あーなるほどね!」とか言ってる。こいつカルピスサワー2分の1杯でもう酔っ払ったというのか…? これはもう増田に書くためにネタを提供してくれてるんだなとしか思えなかった。 「休みの日とか何してる
女の場合 ・モテるためにオシャレをする。 ・ファッションが好きだからオシャレをする。 ・グループから疎外されない為にオシャレをする。 男の場合 ・モテるためにオシャレをする。 ・ファッションが好きだからオシャレをする ・男同士の見得張りでオシャレをする 結局、男女とも3タイプくらいに分かれるんじゃないか? そして、男の場合はオシャレをしなくてもグループから疎外されないので、オシャレに気を使わない人も多々いるということで。 女性のオタク(俗に言う腐女子)の人に聞いてみましたが、たとえオタだろうと周りと同じようにオシャレしないとあっという間に疎外されるそうです。 オシャレに興味が無くても着飾らないと社会生活を送れないし、そのための金銭的負担もかなり大きい。その辺女は大変ですね。 逆に男は男で、多少でもマシな服となると値段が跳ね上がるので辛いですが。
男性に特有の批判なんだが…、女性誌の人気モデルを見て、 「この人男受けはしないよ。」って言う人は、何なんだろうか。 女は皆男受け狙ってると思ってるのか。 女がお洒落するのは、皆男の為だと思ってるのだろうか。すごい傲慢じゃないか。 グラビアアイドルを「この人嫌い」っていう女は居ても、グラビア見て、「この子女受けしないよ」なんていう女は滅多に居ない。「グラビアアイドルだけど、女受けしそう」ならよく聞くけど。 男性が感じるグラビアモデルの魅力も、女性がファッションモデルに感じる魅力も、それぞれ違う美の理想系でいいじゃないか。目指しているものが違うのに、なぜそこに「男受け」を持ってくる必要があるんだよ、と。 男受けで女性ファッションを語られると、ときどき非常に萎える(男受けを目指してるファッションを語る場合ならともかく)。
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