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2008年3月31日のブックマーク (5件)

  • Thinkpad 覚え書き - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります Thinkpad A30 という、7年来使ってきたノートパソコンを買い換えた。 T61 という新型。 初期設定のメモ書き。 Windows XP の設定 Windows XP は、買ったままで使うとなんだか軽快感に乏しいので、余計な機能を止めた。 WindowsXPの設定方法を公開しているサイトを参考にして、 余計な機能をOFF にしたり、「マイドキュメント」のフォルダを、ディレクトリ直下に移動したり。 代表的な設定ツール窓の手、 もう少し細かい設定を行ってくれるtuneapp をダウンロードして、それぞれなんとなく軽くなるように設定した。 クリックひとつでできる設定ばかりで、レジストリを編集するとか、 怖いことは一切やっていないけれど、ずい

    n-e
    n-e 2008/03/31
    使ってるソフトが結構被ってたのでブクマしてみる
  • 正しい技術は驚きを生まない - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります ウルルン滞在記だったか、レポーターが未開の地を訪れるテレビ番組で、 ジャングルで昔ながらの狩猟生活をする人たちが取材されてた。 族長の住居には電話線が引かれていて、族長は電子メールで「注文」を受けていた。 おそらく「通信」というのは、かなり昔から人類が共通に持っていた発想であって、 それが文字や狼煙みたいなものであっても、インターネットみたいな ものであっても、それが「通信」という考えかたの延長線上に乗っている限り、 適応するのは案外簡単なのかもしれない。 番組の中では、族長は電子メールを使っていたけれど、 その人がたとえばAmazon の通信販売を利用できたりするのかどうか、 ぜひとも見てみたかった。 電子メールによる情報交換と、ネット世界

    n-e
    n-e 2008/03/31
    すべての~~がネットワークに前向きに参加すること
  • 技術の欺瞞 広告の欺瞞 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 技術や企画、営業や広告、それぞれの職種には、たぶんそれぞれ持つべき 欺瞞のスタイルというものがある。 欺瞞を捨てた、全方向的な「よさ」を追求した先には、魅力的なプロダクトは生まれない。 「いい」製品と、魅力的な製品というものは異なっていて、商品の魅力というのは、 たぶん技術職と営業職の、欺瞞ベクトルの「ずれ」が作り出す。 Thinkpad を買った 新しいThinkPad を買った。自分みたいな素人には「速い」ということしか分からないし、 今使ってるぶんには何の不満も無いけれど、キーボードの印象がずいぶん変わった。 前使ってたA30 というモデルは、IBM 時代の製品。IBM が中国に買収されて、 「ThinkPad はもう終わりだ」とか言わ

    n-e
    n-e 2008/03/31
  • TVが面白いの面白くないのってのはコンテンツのメタ化が進んだからかも? - novtan別館

    個人的な思いとしては、あの過剰な字幕の乱舞が始まってからテレビがつまらなくなったというか、コンテンツそのものではなくて、パッケージがつまらなくなったと感じている。つまり、スポーツ中継一つとっても、その試合の内容そのものではなくて、タレントによる解説とか、特定の選手への肩入れとか、字幕とか、そういうものが試合の中身の代わりに主役になろうとしている。コンテンツの受け取り方までもがある一定方向に誘導される。それに対する反発ってのもコンテンツの受け取り方のうちなのかも知れないと思うと実に腹立たしい。 このようなメタなコンテンツに慣れてしまったからこそ、よりダイレクトなニコニコ動画のような参加型メタコンテンツが流行るのかも知れない。ここでは既にコンテンツの価値はメタ的に楽しめるかどうかに変質してしまっている。コンテンツは素材に成り下がった。 元々映像コンテンツ、特にドラマではなくてノンフィクションや

    TVが面白いの面白くないのってのはコンテンツのメタ化が進んだからかも? - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/03/31
  • 「何故?」に対する応答 - novtan別館

    書くことは思考の固着だというのは再三述べてきた。幸いにも僕はその思考が既に自分のものではないと知っている。いや、厳密には僕の一部ではあるけれど、練りあげて得られた理論でない限り、そのときの思考の一端を切り出したものにすぎず、将来にわたっては縛られ得ないものだ。 だから、そこに永続するロジックが存在するか否かについても保証の限りではない。 僕は、そうはいっても自分自身の中での一貫性を保とうとは思っている。趣味嗜好についてロジカルである必要性はないけれど、それ以外の言については。 ロジックの組立かたこそがその人の思考の根幹を為しているとすれば、発するに際して個別のロジックを必要としなかった不用意な言説の提示に対する「何故」と言う問い掛けは、根幹の提示要求である。 自分の思考と矛盾しない個別ロジックにより発せられた言であれば問いかけに対しての回答は容易である。そうでなければ、「何故」という問いか

    「何故?」に対する応答 - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/03/31