これが反原発の立場なのか、原発推進の立場なのか、ぼくは分からないし、気にもしていない。でも、これがいちばん正しいことだと思うということを書いてみる。 まだ福島原発事故の後処理は当分続きそうだが、今後原発をどうするのかという議論(というより議論の不在)はいまだに続いている。でもそのほとんどは、中身を考えないお題目だけの原発反対か、単なる現状維持の原発賛成のみ。 ぼくは「原発反対」という人々が何に反対しているのか、よく分からない。ぼくは耐用年数のすぎたポンコツをだましだまし使い続けるのには反対だ。そしてそんな基本的な工学原則も徹底できない、今の愚かな関係者たち(いわゆる原子力村)にも反対だ(そしてたぶん後者のほうが大問題だ。これは老害の一種だから)。 でも、核分裂を使うエネルギー源がすべてダメとは思わない。福島の原子炉なんかよりはるかに安全性の高い原子炉はある。外部電源が切れても、冷却水が
東日本大震災の津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」のマツの木を、千葉県の成田山新勝寺で「護摩木」と共に焼いて供養することが報道されると、「核廃棄物を持ち込むことは許さん!」などといった苦情が寺に押し寄せた。陸前高田市のマツを管理するボランティア団体にも抗議が来ている。 陸前高田市やボランティア団体からは、市への非難や風評被害が広がるばかりで、「もうそっとしてほしい」といった悲鳴が挙がっている。 「皮は薪にはしないのに」と地元は憮然 市やボランティア団体は、マツを巡る騒動でバッシングに晒されていることに頭を抱えている。今回の騒動のあらましはこんな具合だ。 陸前高田市のマツを管理するボランティア団体によれば、2011年6月に大分県の芸術家から、京都「大文字」で使うマツの木切れが欲しいといわれ、市と協議して提供を決めた。木切れに被災者の願い事を書いて欲しいという申し出については
「検査対象となるのが、14の都県となりました」と、田中大貴アナ。農水省のコメ放射性セシウム検査の話である。田中の手元には、対象地域が赤く色分けされた日本地図のパネルが置かれている。 それを見ると、検査対象は新潟、山梨、静岡など南西方向に長く伸びているが、北側は秋田や岩手以北が含まれていない。 「秋田や岩手は対象に入ってないが、やってほしいという気持ちと、いろいろ複雑でしょうね」と司会の笠井信輔アナ。 「まあ、秋田岩手はやらなくていいんじゃないかなあ、って気がしますけどね」。いつものように薄笑いを浮かべながら、番組コメンテイターの福田和也・慶応大学教授。教授の肩書きを持つこの「学徒」が、そうした「気」がする理由についてそれ以上語ることはなかった。
すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 昨日、東京電力本社前で、農民連と食健連(国民の食糧と健康を守る運動全国連絡会)による「人々を路頭に迷わせた東電の居直りは許せない! 8.3東電・政府賠償請求行動」がおこなわれました。 東京千代田区の東電本社前には、福島県の農民100人をはじめ350人以上の農民らが集まり、かけつけた肉牛2頭や稲わらを乗せたトラックとともに、東電へ怒りをぶつけました。(※この集会にかけつけた牛の写真が、フォトジャーナリストの森住卓さんのブログにアップされていますのでご覧ください ) この集会のなかで、群馬県のキノコ農家の青年(31歳)が訴えたのですが、あまりにひどい話で東電への怒りが沸騰してしまったので以下その要旨を紹介します。(※事実経過については、昨日の訴えに加え7月28日の経済産業省前
「プルトニウム半減見届る」 首相、辞任に条件追加 これは嘘ニュースです 菅首相は25日、自らの退陣のめどとして「今年度第2次補正予算案の成立」など3条件を掲げていることについて、さらに「原発から放出されたプルトニウムの放射能半減を見届けたい」と周辺に話していることが明らかになった。この発言に対し与野党双方から「政権の延命を図る露骨な後付け」との批判が噴出しており、今後さらに首相への退陣圧力が強まりそうだ。 25日夜、首相は都内の料亭で自らに近い議員数人と会食。その中で「『退陣3条件』と言ったな。あれは嘘だ」と話すとともに、「一国の主(あるじ)として、原発事故を終息まで見届ける義務がある」として、3条件成立後の続投に意欲を見せた。また、「終息」の定義については、「放射性物質の中でもひと際毒性の強いプルトニウム239の放射線量半減が一つのめど」と語ったという。 一般にプルトニウム239の半減期
世界中が死刑廃止をしている中で、なぜか日本では野蛮国らしく、国民の大部分が死刑廃止に反対だとか。いったい死刑は何のためにやるのか。重大な犯罪を犯せば、死刑になることで、重大な犯罪を防止することが主な目的のはずだ。しかし、京都アニメの放火殺人をはじめ、近頃では死刑になりたくて多くの人を殺す犯罪が連続して起こっている。死刑がむしろ重大な犯罪を誘引しているようだ。これでは死刑を存続させる意味はまったく無くなったと言って良い。死刑のもう一つの意味は、被害者の遺族の気持ちと言うこと。でもこれは復讐であり、国が代わって行うのは、やはりおかしい。もはや死刑を続ける意味は無くなっただけでなく、重大な犯罪を引き起こす原因にさえなっている。死刑を続けたいのは、権力を持つものが一般大衆を殺す権利を手放したくないだけだろう。今こそ死刑は廃止すべきだ。
1996Academy of Sciences of Belarus THE CHERNOBYL CATASTROPHE CONSEQUENCES IN THE REPUBLIC OF BELARUS National Report 1996 inistry for Emergencies and Population Protection from the Chernobyl NPP Catastrophe Consequences Academy of Sciences of Belarus THE CHERNO BYLCATASTROPHE CONSEQUENCES IN THE REPUBLIC OF BELARUS National Report
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