文化理解における相対主義ということがよくいわれる。これは自分が属する文化(自文化)を絶対化し、その尺度で異文化を測ってはならず、むしろ自文化を相対化し、異文化をそれに固有の尺度で測らなければならない、という主張である。こうした考えは、レヴィ・ストロースが文化人類学で発案した構造主義に源を発し、もともとは文化人類学者たちがしきりに主張してきたものである。この流れに乗った一部の宗教学者たちは、宗教人類学なるものを開発し、相対主義を、宗教理解についても及ぼした。 一九五〇年代から七〇年代にかけて、こうした文化人類学者、宗教人類学者たちの主張は、欧米や日本の知識人たちに強烈な影響を与え、おおむね受容されていった。これは、異文化、異教を理解するためにはまことにもっともな態度だと見えがちであること、自文化、自教の尺度から異文化、異教のありかたに少しでも疑義を呈するやいなや、文化人類学者から「偏狭な自