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1400とjapanに関するnabinnoのブックマーク (2)

  • 御所巻 - Wikipedia

    御所巻(ごしょまき)は、室町幕府において諸大名の軍勢が将軍の御所を取り囲み[1]、幕政に対して要求や異議申し立てを行った行為[2]。 概要[編集] 室町時代(南北朝時代・戦国時代を含む)には大名や国人領主の家において家臣団が一揆を結成して、家督問題や家政一般で異議を申し立てることがあったが、その幕府版といえるものである。室町幕府では将軍(室町殿)が諸大名に重大な事案について諮問したり協議を行ったりして方針を定めることがあったが、それ以外にも幕府の施策について大名側から異議を表すために意見を申し入れることがあった[2]。 御所巻の際には事前に箇条書きにした訴状に諸大名が連署して将軍に提出するなどの「作法」が存在していた[3]が、家臣である守護大名が主君である将軍の御所を包囲して異議を申し立てる行為は既存の主従関係を脅かす不穏な行為とみなされ、社会的には決して好意的にはみられなかった[4]。

  • 室町時代 - Wikipedia

    広義では「室町幕府が存在した時代」に当たり、足利尊氏が建武式目を制定した1336年(建武3年/南朝:延元元年)または征夷大将軍に補任された1338年(建武5年/延元3年)から、15代将軍義昭が織田信長によって京都から追放される1573年(元亀4年)までの237年間、もしくは235年間を指す。 狭義では建武新政から明徳の和約による南北朝合一(1392年、明徳3年/元中9年)までの最初の約60年間を南北朝時代、応仁の乱(1467年、応仁元年)または明応の政変(1493年、明応2年)以後の時代を戦国時代と区分して、その間の75年間から100年間を室町時代と区分する場合もある。 1336年、後醍醐天皇と対立した足利尊氏が持明院統(北朝)の天皇を擁立し幕府を開いたが、1392年、3代将軍義満によって南北朝が統一され、最終的に武家が優位に立った。将軍直轄の軍事力や財政基盤は弱く、中央の幕府が上位に立ち

    室町時代 - Wikipedia
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