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1980とpoliticsに関するnabinnoのブックマーク (3)

  • お前らは「選挙に行け」しか言わないよな

    私は28歳の男性。ここ数年、選挙には行っていない。もはや行く気もない。 まあ私が選挙に行かないことはいい。政治にももはや興味はない。(興味は無いけど不満はあるって事、あるよな) 私が不満に思っているのは、「若者は投票率が低いから政治において軽視される! 政治の恩恵を受けたいなら選挙に行こう!」という主張だ。 28が若者かっていうのはおいといて、上記の主張を見るとイライラしてしまう。それは何故か? 「おまえが政治において軽視されるのは、おまえが選挙に行かないからだ」という責任転嫁に見えるからだ。 私は現代のメロスだ。政治というものがわからない。中学校で習うこと以上には詳しくない。 しかし、政治っていつから「選挙に(投票に)来る奴を贔屓する」ルールになったんだ? わかってる。政治家はまず選挙に当選しないと何も始まらないんだから、投票率の高い老人向けのマニフェストを発表して得票しようとしているっ

    お前らは「選挙に行け」しか言わないよな
    nabinno
    nabinno 2021/10/19
    就職前から日経爆上がりな好景気を歩んできた28歳が「好景気というものを体験したことがない」とは何かの冗談か。80年代好景気のしらけ世代を見ているようで面白いサンプル。
  • 皇民党事件 - Wikipedia

    皇民党事件(こうみんとうじけん)とは、自由民主党の総裁指名に関し、1987年(昭和62年)に日皇民党が起こした事件。1992年(平成4年)の東京佐川急便事件に絡み、その公判中に明らかになる。“総理誕生に闇勢力が関わった”として問題になった。 概説[編集] 当時、内閣総理大臣だった中曽根康弘から受ける、次期自由民主党総裁の指名を巡って、安倍晋太郎・宮澤喜一と争っていた竹下登が、右翼団体である日皇民党から、執拗に『日一金儲けの上手い竹下さんを総理にしましょう』と「ほめ殺し演説」を受ける。 「ほめ殺し」とは、右翼団体が行う街頭宣伝活動の一形態で、攻撃対象を徹底的に皮肉を込めて誉め称えたり、嫌がらせの街宣活動を行い圧力を加える事である。なお、この事件を取材したジャーナリストの岩瀬達哉によると、ほめ殺しなる言葉を定着させた人物は、浜田幸一だとされている。岩瀬が竹下の生い立ちや同事件の取材をまと

  • 光州事件 - Wikipedia

    1979年、朴正熙大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていた。しかし、軍部では維新体制の転換を目指す上層部と、朴正煕に引き立てられた中堅幹部勢力「ハナフェ(ハナ会・一心会)」との対立が表面化した。 1979年12月12日、ハナフェの中心人物である保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を朴正煕暗殺事件の共犯容疑で逮捕し、ハナフェを中心とした「新軍部」が軍の実権を掌握した(粛軍クーデター)。朴正煕の後任の大統領となった崔圭夏は大統領代行就任直後より早期の憲法改正と民主化を約していたが、就任直後で軍部を掌握できなかったためにこれを黙認せざるを得なかった。 粛軍クーデター後も全国各地で反軍部民主化要求のデモが続いていたが、全斗煥率いる新軍部の主導の下、1980年5月17日に全国に戒厳令が布告され(5・17非常戒厳令拡大措置)、執権の見込みのある野党指導者の

    光州事件 - Wikipedia
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