2005年1月30日の選挙で、大アヤトラ・サイイド・アリ・シスタニ師(1)を後ろ盾とする連合名簿が勝利して以来、アラブ世界の王室、政府、そしてメディアが「シーア派三日月地帯」の影に怯えている。シーア派地域はレバノンの山岳地帯からイラン北東部ホラサン地方の山間部にかけて、メソポタミア地方、ペルシャ湾岸(とくにサウジアラビア東部の産油地域)、イラン高原にまで広がっている。この脅威論の出所は、主にアメリカの戦略研究所である。この「シーア派勢力」は、かつての敵との実際の、あるいは推定上の同盟相手として、立ち向かうべき敵、はねつけるべき脅威、叩きつぶすべき陰謀など、中東の豊かな想像力をかきたてる敵の殿堂に名を連ねるようになった。 ---------------------------- 中東のシーア派の実相 アハマド・サラマティアン(Ahmad Salamatian) 元イラン議員 訳・岡林祐子 2
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