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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (3)

  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://www.j-cast.com/2013/12/18192103.html 石原慎太郎が、自分の原稿の掲載を拒否した『すばる』編集長の池田千春を「勇気ある女性」だと言っているが、とんでもない話である。私は2009年に小説「天皇の煙草」を同誌に持ち込んだが、街宣車が怖いからといって「天皇」を「あの方」などに改稿するよう要求されて拒否している。勇気あるどころかヘタレ編集長である。石原は怖くないが右翼は怖いらしい。

    ■ - jun-jun1965の日記
  • 江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記

    『川端康成伝』(中央公論新社)を書いていて、江藤淳がかなり川端を嫌っていたことを知った。同じ鎌倉に住んでいて、江藤は先輩への礼儀として著書が出ると送っていたが、川端は筆まめな人だから、そのたびに礼状をよこしたが、江藤はいっぺんも返事などを書かなかったという。『犬と私』(一九六六)を送った際、やはり礼状が来て、川端も長く犬を飼っていたので、先日十七歳になる犬が死んで、川端家では三十七、八年ぶりに犬が一匹もいなくなったとあった。江藤は、『文學界』に載った川端追悼文で、その手紙は表装して飾ってあるが、それは川端の手紙だからではなく、犬が懐かしいからだとわざわざ書いている。それは川端追悼特集の巻頭に来た長めのものだが、そこで江藤は、川端批判をしているのである。江藤はそこで、川端の文学は高度大衆社会の文学で、谷崎や志賀、荷風の貴族的な文学とは違っていると書いている。 一昨年死去した、川端研究の代表格

    江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記
  • ノートをとる - jun-jun1965の日記

    よく大学生が、試験の前に「友達からノートを借りて」といったことを言うが、私にはこの「ノート」がよく分からない。借りたこともなければ、とったこともない。いや、授業中に一応ノートは広げていたのだが、まともにとれたことがない。 なんでかというに、大学の教師がしゃべることは、に書いてあるからである。教養学部時代にとった授業と言えば、村上陽一郎、折原浩などがいるが、これは著書があって、そこに書いてあることをしゃべっている。井上忠は、著書を読んでも何が書いてあるのか分からない(今でも分からない)が、しゃべっていることも、何を言っているのか分からなかったから、ノートがとれるはずもない。延広眞治先生だけは、『柳多留』の講義だから、これだけはいくらかメモはとった。村上陽一郎は、いくらかノートはとったのだが、あとで見たら、著書に書いてあることだった。 英文科へ行くと、渡辺利雄のアメリカ文学史、これは『総説ア

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