初代バルフォア伯爵アーサー・ジェイムズ・バルフォア(英: Arthur James Balfour, 1st Earl of Balfour [ˈbælfɔː, -fə, -fʊə][5][6], KG, OM, PC, DL、1848年7月25日 - 1930年3月19日)は、イギリスの政治家、哲学者、貴族。 ソールズベリー侯爵引退後の保守党を指導し、1902年から1905年まで首相を務めた。政権交代後も自由党の長期政権下で6年ほど野党保守党の党首を務めたが、1911年には党首の座をアンドルー・ボナー・ローに譲る。 第一次世界大戦中に成立した自由党・保守党大連立の挙国一致内閣では海軍大臣(英語版)や外務大臣などを歴任し、バルフォア報告書やバルフォア宣言に名を残す。 1848年に大富豪・大地主の息子としてスコットランド・ホィッティンガム(英語版)に生まれる。ケンブリッジ大学で哲学を学んだ後