1988年、長尾は論文「外国人の人権-選挙権を中心として」を発表した。この中でドイツの学説である「部分的許容説」を日本の学会で初めて唱え、日本国憲法下でも外国人に地方参政権を付与できると主張した。この論文は最高裁の平成7年(1995年)判決の「傍論」にも影響を与えた[3]。 「部分的許容説(許容説)」が発表される以前の学会には、「要請説」と「禁止説」という正反対の学説が存在し、このうち「禁止説」が通説的見解とされた。 「要請説」は、外国人参政権を認めることは憲法上の要請であり、これをしないことは憲法違反となるとする見解であり、「禁止説」は、(国政レベル・地方レベルの)参政権を法律により付与をすることが憲法違反となるとする見解である。 長尾の発表した「部分的許容説」は、両者の折衷的学説であり、国政レベルは法律による付与も認められないが、地方レベルは法律による付与が憲法上許容される とする立場