1979年に『新憂うべき教科書の問題』、1980年に『疑問だらけの中学教科書』が発行。内容について国会でも取り上げられ、教科書検定に社会的関心が高まった。1981年から1982年にかけて文部省が教科書検定を通じ、高校の社会科関係で、「天皇」「明治憲法」「戦争の歴史」「憲法九条」「自衛隊」「愛国心」「北方領土」「国民の権利と義務」「原子力」「公害問題」「住民運動」等の表現・取扱いについて批判的記述を抑え、過去の日本の正当化・現状の肯定化図る方向で厳しい検定を行った。 また、各新聞の1982年(昭和57年)6月26日付朝刊が、日本国内の教科用図書検定において、昭和時代前期の日本の記述について「日本軍が「華北に『侵略』」とあったのが、文部省(現在の文部科学省)の検定で「華北へ『進出』」という表現に書き改めさせられた」と報道され、日本と中国、韓国との間で外交問題に発展した。このような、教科書検定の