光州学生事件(こうしゅうがくせいじけん)、あるいは光州学生独立・光州学生運動(광주학생운동)は、1929年に日本統治時代の朝鮮の光州で起こった喧嘩の対応を巡って朝鮮人学生による抗議を巻き起こした。 1929年10月30日、全羅南道の羅州行きの列車で日本人中学生生徒の福田修三らが朝鮮人女子生徒の朴己玉らをからかった[1][2]として、朴己玉の従兄弟の朴準埰が福田を殴り、日本人生徒と朝鮮人生徒の間に決闘が始まった。この際、警察が朴準埰と朝鮮人生徒だけを逮捕したので、生徒の不満が高まった。これが原因となり、11月3日、朝鮮人生徒らは日本の警察や日本学生寄りの報道をした「光州日報」に抗議をし、また朝鮮人学生と日本人学生の衝突が発生し、警察が朝鮮人学生を検挙した。 これを発端として光州高等普通学校の生徒を激高させ、検挙者の釈放を求めるとともに、日本による統治政策を批判し、デモを展開した。デモは192