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europeとhouse-of-habsburgに関するnabinnoのブックマーク (3)

  • 「ハプスブルク」を歴史の中に位置づけて理解するために――『ハプスブルク史研究入門』を読む - Danas je lep dan.

    「ハプスブルク」という言葉で,なにを思い浮かべるだろうか。多くの人が思い浮かべるのは,おそらく帝都ヴィーンの豪奢な宮廷文化であろう。「オーストリア=ハンガリー」と聞けば,あるいは第1次世界大戦に至るまでのヨーロッパ政治史における黄昏の大国がイメージされるかもしれない。けれどもそれらのイメージだけでは語り尽くすことができない複雑さを併せ持つのが「ハプスブルク」という対象であり,先日出版された『ハプスブルク史研究入門』は,その対象にアプローチするための最良の入門書である。ハプスブルク史研究入門―歴史のラビリンスへの招待作者: 大津留厚,河野淳,岩崎周一,水野博子出版社/メーカー: 昭和堂発売日: 2013/05メディア: 単行この商品を含むブログを見る 書は時代別で4部構成になっている。第I部「近世前期」(1-58頁),第II部「近世後期」(59-116頁),第III部「近代」(117-1

  • オーストリア大公 - Wikipedia

    オーストリア大公(おーすとりあたいこう、ドイツ語: Erzherzog von Österreich ラテン語: Archidux Austriae 英語: Archduke、Archduchess)は、ハプスブルク家(ハプスブルク=ロートリンゲン家を含む)により用いられたオーストリア(オーストリア大公国)の領主としての称号。16世紀以降は君主以外の一族の成員も用いた。 従前のオーストリア公(Herzog von Österreich)の「公」(Herzog)を、その長としての意味をもつ「大公」(Erzherzog)に格上げしたもの。ルドルフ4世の僭称に始まるとされ、カール4世の金印勅書で選帝侯位を認められなかったルドルフ4世が特別な地位を求めたためといわれる。後にハプスブルク家の神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の時代に、帝国法によって正式の称号として定められた。 ハプスブルク家では元来、兄

    オーストリア大公 - Wikipedia
  • ハプスブルク家 - Wikipedia

    ハプスブルク家の旗 ハプスブルク家(ハプスブルクけ、ドイツ語: Haus Habsburg、スペイン語: Casa de Habsburgo)は、オーストリア家( 独: Haus Österreich、西: Casa de Austria)とも呼ばれる、ヨーロッパの歴史上最も著名で重要な王朝の一つである[1][2]。 ハプスブルク家の名前は、1020年代にクレトガウのラートボトによって現在のスイスに建てられた要塞、ハプスブルク城に由来する。彼の孫であるオットー2世は、この要塞の名前を初めて自分のものとし、その称号に「ハプスブルク伯爵」を加えた。1273年、ラートボト伯爵の7代目の子孫であるハプスブルク家のルドルフがローマ王に選出された。バーベンベルク家の消滅と、1278年のマルヒフェルトの戦いでボヘミア王オタカル2世に勝利したことを機に、息子たちをオーストリア公家に任命して一族の権力基盤を

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