◆ 序 「衣手、常陸の国」 常陸の国の司(つかさ)が申し上げます。古への翁たちの伝へ語り継いできた古き物語を。 古へは、相模の国の足柄の坂(やま)より東の諸々の県(あがた)は、すべて吾妻の国といってゐたもので、常陸といふ名の国もなかった。ただ新治(にひばり)・筑波(つくは)・茨城(うばらき)・那賀(な か)・久慈(く じ)・多珂(た か)の小国には、朝廷より造(みやつこ)・別(わけ)が派遣されてゐた。 後に、難波の長柄の豊前の大宮に天の下知ろし食しし天皇(孝徳天皇)の御世に、高向(たかむこ)臣や中臣幡織田(はとり だ)連(むらじ)らを派遣し、足柄の坂より東を八国として総轄統治せしめた。その八国の一つが、常陸の国である。 行き来するのに、湖(うみ)を渡ることもなく、また郷々の境界の道も、山川の形に沿って続いてゐるので、まっすぐ行ける道、つまり直通(ひたみち)といふことから、「ひたち」の名が